New Apostolic Church Japan
nac.today latest news

RSS Error: WP HTTP Error: cURL error 60: SSL certificate problem: certificate has expired

Catechism

「溺(おぼ)れる者は藁(わら)をも掴(つか)む」と言いますが、ユダヤ三代の族長の一人であるヤコブの場合、藁ではなく、天に伸びる一本の梯子(はしご)でした。これは何を象徴しているのでしょうか。

複雑な事柄でも、絵図で説明すると理解しやすいものです。この方法で子どもたちは言語を習得し、大人になってもそれが続くことが多いのです。これを比喩〔メタファー〕、すなわち言語の視覚化といいます。ドイツ語では、「首のところまで水が来ている」、「最後の藁を掴む」などがあります。日本語にも似たことわざがあります。こうした慣用表現の背景には、個人的な敗北、悲しみ、現実の悩みなどに関する長い物語がしばしば付随しています。確かに、「痛いところを突かれる」のはつらいですが、真実を明らかにするためには必要なことです。

天に伸びる梯子の話に戻りましょう。「ヤコブの梯子」とも呼ばれるのは、ヤコブが人生の困難な局面で、新しい勇気、新しい力、新しい希望を得たからです。この部分は悲しい話ですが、最後にはハッピーエンドが待っています。二人の兄弟は対立し、ヤコブは逃げ出し、トラブルに巻き込まれ、自分の存在のむなしさを感じます。地面に横たわり、目をつむり、うとうとと眠りにつきます。すると突然、地上から天まで伸びる梯子(階段、階段、傾斜路と訳されることが多い)を目にするのです。頂上には主なる神が立ち、階段には天使が上り下りしています。「天と地がつながれば、良いことしかない。」この話は有名です。神様の使者である天使は、良い知らせをもたらします。「起きなさい! あなたは私の計画の中にいる! あなたは忘れられていない! 私はまだあなたのために偉大なことを計画しているのだ!」

これがヤコブに新しい活力を与え、彼は元気を取り戻し、人生が続いていくのです。この物語はこれくらいにしますが、それにしても、天国に伸びる梯子の、何がそれほど興味深いのでしょうか。

イエスの梯子

ヨハネによる福音書1章51節では、ヤコブが見た梯子の夢をイエス・キリストになぞらえています。「よくよく言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子〔=キリストのこと〕の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」キリストは救いの階段となり、一段一段、十字架まで上って行かれます。これによりキリスト者は、天国への道を手にすることができるのです。イエス・キリストは、この世とその創造主をつなぐ存在なのです。

マルコによる福音書1章3節で「荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を備えよ/その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあります。これはイザヤ書40章3節を引用したものです。つまり、天との直接的な結びつきを作るということです。キリスト教の有名な讃美歌「主よ御許に近づかん」も、ヤコブの夢とそこから生まれる新たな活力ーについて歌ったものです。

この梯子の夢は、勇気と希望が与えられることを表しており、いわゆる出口戦略も示すものです。そして、これこそが、「どんな困難があっても天の国への道は開かれている」というキリスト教の考え方なのです。神様は呼び求める者を助けてくださいます。つまり、苦しんでいて、人生に居場所がなく、今すぐ必要としている人が、力尽きんとした時に、夢を通して出口を見つけ、新たな力を手に入れるのです。キリスト教的に言えば、神様は人々を気遣うために、天使を送り、天使を通して人々をどうしようと思っているのかを伝えることによって、人生の歩むべき方向をはっきり示してくださるのです。

ヤコブは砂漠のその場所を神の家「ベテル」と呼びました。これは私たちに、賛美歌の一節を思い起こさせます。「目覚めてのち まくらの / 石をたてて めぐみを / いよよせつに 称(たた)えつつぞ /主よ、みもとに 近づかん」(新使徒教会国際版252、253番/日本語版72番)。

Author: Peter Johanning
Photo: 日本新使徒教会
Translated by Toshiyasu Matsuoka
5.10.2022
nac.today: the news magazine of the New Apostolic Church International

Copyright © 2022. All Rights Reserved.