New Apostolic Church Japan

自由は、神様から代価無しでいただける賜物です。しかし神様はその自由を私たちに強制なさいません。自由を求める人を解放するだけです。今回はエディ・イヌスグロホ教区使徒(インドネシア)の体験談です。

ある水曜礼拝のことです。礼拝後、私もよく知るある牧司が出席されなかったことに気づきました。聞けば、何週間も病気を患っているとのことでした。お見舞いに行こうと思いながらも、夕礼拝が終わって夜も遅いので今か行くのはどうかと思いました。しかし気持ちに促されて、奥さんと電話で話したところ、すぐに自宅に来てくださいと言ってくださいました。牧司にお目にかかった時、とても衰弱した様子でしたが、明るい表情でした。牧司は自分の健康のことを教えてくれました。医者のところへ行って何度も入院したが医者からまだはっきりした診断が出ない、とのことでした。

しかし実際に牧司が悩んでいたのは、邪教に囚われていたことでした。彼は次のようなことを明かしてくれました。「その教えがキリストや使徒職から宣べ伝わる福音から出たものではない、ということを伝道師が教えてくれても、その邪教が正しいと思いこんでいました。教区伝道師も説得しようとしてくれましたが、私はまだその教えに固執しました。彼らの方が間違ったことを教えているのではないかとさえ思いました。」そこでこの牧司さんはいろいろと考え、たくさん祈りを献げ、自分のことを見つめ、格闘し、人生を振り返ったそうです。

すでに赤ん坊の時には神様の子になっていたというこの牧司さんは、次のようなことを話してくれました。「私は新使徒教会の信仰に触れながら育てられ、青年時代も積極的に活動しました。恵みによって教役者になり、何年もキリストにお仕えし、『まもなくキリストが再びおいでになります。その時が来たら神様とお交わりができます』ということを、新使徒教会員として人々に証をしてきました。」結局彼は、伝道師や教区伝道師が言っていることの正しさを悟ることができたということです。信仰の危機を感じ、邪教に囚われそうになったものの、悔い改めることができたのです。牧司はこう言いました。「そして今、あなたや友人や使徒がここに来てくれます。私の罪が赦され平和が満ち溢れるように、どうか祈ってください。」そこで私たちはベッドの横で膝をつき、一緒になって懸命に祈り、最後に主の祈りを献げました。すると牧司さんは言いました。「これで楽になりました。どうもありがとう。」私たちは別れて帰宅しました。

数日後、この牧司は亡くなったそうです。神様は彼を病魔から解放なさっただけでなく、邪教という呪縛からも自由にしてあげてくださったのです。

(6月29日nac.todayより)

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