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私たちが実際に何者なのかを、他人から判断されずに知るのは難しいです。私たち人間は社会的な生物であり、人の善意に依存します。「真実を知るために、イエス様が私たちの目を開かせてくださいます。」こう話すのは、アメリカのジョン・フェント教区使徒補佐です。

2020年が開けた時、このような厳しい状況が起きるとは、誰もが予想だにしておりませんでした。「キリストは自由にしてくださる」ということに集中することがどれほど適切かつ重要なのかを、誰も分かっていませんでした。つまり、天の父を除いて誰も分かっていませんでした。

今年の初め、主使徒は「偏見を抱いたり、周囲の論調に左右されたりすることなく、イエス様という手本に従い、愛することを、聖霊は私たちに教えてくださいます」と述べました。イエス様が愛されるように愛するようになるということは、私たちがありのままの自分を見つめなければいけない、ということでもあるのです。イエス様のように成長できる能力に制限がかかった状態にあることを、私たちは聖霊によって悟らせていただくことができます。

こうした状態の一つが、霊的な目が見えないことです。隣人が困っているのが見えない恐れがあるのです。隣人の苦しみが分からない恐れがあるのです。隣人が蚊帳の外に置かれたり差別を受けたりしているのが分からなくなる恐れがあるのです。この見えない状態から自由にしてくださるのが、イエス様です。

この見えない状態になるのは、生活上の悩みに占有されていることが原因かもしれません。生活上の悩みは、周囲にいる世間の人々の考えに端を発している可能性があって、その考えが無意識のうちに私たちに「貼りつく」のです。すると、見えない状態になって、隣人を愛する能力がひどく制限されることに気付かなくなる可能性があります。隣人が何を困っているのかが分からないからです。

ありがたいことに、この見えない状態から解放してくださるのが、イエス様です。イエス・キリストを私たちの生活や思考の模範とするならば、私たちの目が開けます。自分自身や周囲の人の考え方に縛られることは、もうなくなります。私たちの目が開かれて、それまで見えなかった隣人のことが見えるようになります。隣人の困っていることが理解できて、独善的な判断や人間的な考えに制限されることがなくなります。外観だけでなく、キリストのようなものの見方がますますできるようになります。つまり、偏見や差別なく愛されたいと切に願っている魂が見えてくるのです。

(9月8日nac.todayより)

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