New Apostolic Church Japan

神様は、御自身について行く決意を、私たちに求めておられます。そのためには霊のもたらす力、変わろうとするはっきりした意志が必要です。カナダ教区のマーク・ウォル教区使徒からの、今年の標語に関する所感です。

私は、アフリカ及びアジア十一カ国を含むカナダ教区を回っています。どこに住もうと、またどのような環境にあろうと、人が願うのは自由です。人々はよく、想像もつかない代価を自ら進んで払おうとします。私たちがもうすでに享受している自由を求めて、生活を自ら犠牲にしている何千人という難民のことを、私は考えるのです。

自由の定義は、「妨害されたり制約を受けたりすることなく、自らの望む通りに、行動したり、発言したり、思想を持ったりする権力や権利」であります。おもしろいことに、この世の自由は、抑制しないと投獄という全く正反対のことになってしまいます。悪しき者も、好き放題の行動や発言をせよ、と私たちに促してきます。しかし、そうしたら厄介な状況になることを、私たちは知っています。

主使徒は「キリストは自由にしてくださる」について、霊のもたらす力である、と言っています。霊のもたらす力とは、ある過程の中で変化や成長を促す力のことです。力とは、私たちにとっての本当の自由(解放)のために取り組んでくださる、キリストであります。私たちが望むなら、キリストは私たちの内面にすばらしい変化をもたらしてくださいます。この自由を得たいという気持ちにならなければいけません。どれほど真剣にこの自由を望んでいるかは、私たちの努力で分かります。

聖霊は私たちが正しい判断をできるように、導き、教えてくださいます。正しい判断ができることによって、罪による責任、臆病、後悔、相手を赦せないこと、その他諸々の束縛を、常に回避することができます。罪が赦され、平和のうちにいることができ、愛し、愛され、喜び、未来を――臆することなく――信頼して確信できることはなんとすばらしい開放感でしょうか。キリストの福音と、聖霊の促しにしっかりとどまるようにするならば、この開放感を得ることができます。テモテへの手紙二1章7節には次のように書いてあります。「神が私たちに与えてくださったのは、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊だからです。」私たちには、イエス・キリストの福音に従う自由があります。三位一体の神様と隣人に仕える自由があります。

本当に、キリストは自由にしてくださるのです。

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