New Apostolic Church Japan
nac.today latest news

RSS Error: WP HTTP Error: cURL error 60: SSL certificate problem: certificate has expired

Catechism

2022年の標語「キリストにあって共に」には、たくさんの学習目標があります。ザンビアのクブバ・ソコ教区使徒は、その内容を深く考察し、その考察を私たちに伝えてくれています。「私に学びなさい」とのイエス様の訴えを思い起こさせてくれます。

今年の初めに、私たちの主使徒は2022年の標語である「キリストにあって共に」を発表しました。この標語は、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストが私たちの共通項であることをはっきりと示しています。キリストは私たちの中心的存在であり、模範であり、私たちはキリストを見習わなければなりません。2022年の標語を通して、新使徒教会のキリスト教徒である私たちは、多くのことを考えさせられるはずです。その考えをいくつか紹介します。 

団結 

キリストにあって共にあることは、一致して共に生きることを意味します。ヨハネによる福音書17章20~21節において、主イエス・キリストは私たちが一致するよう祈られましたが、それはまた私たちと主との団結の象徴でもあります。これを詩編の著者ダビデは、「兄弟が共に住むことは/何という幸せ、何という麗しさ」(詩編133:1)と端的に述べています。 

謙虚さ 

キリストにあって共にあることは、謙虚であることを意味します。私たちの贖い主は、「ご自分が優しく、腰が低い人だから、ご自分から学ぶように」と勧めておられます(マタイ11:29)。私たちはイエス様に倣って、寛容になりましょう。謙虚であるとは、聖霊がもたらしてくださる霊感によって、使徒の導きに従い、主イエス・キリストの再臨のために使徒から備えを受けることも意味します。 

従うこと 

キリストにあって共にあるとは、妥協することなくキリストに従うという固く決意することです。そのためには、警戒心、勇気、犠牲、精進が必要です。また、揺るぎない信仰を持ち、どのような状況にあっても、常にキリストに従うよう心がけましょう。 

 感謝 

キリストにあって共にあるとは、感謝することを意味します。私たちは神様の恵みによって神の子どもとさせていただいたのであって、私たちが努力したからではありません。イエス様は私たちを神様と和解させるためにおいでになり、今私たちは一つの体になっています。私たちと神様との交わりは、イエス様による犠牲の死によって新たにされたのです。使徒パウロはコロサイの信徒への手紙を通して、私たちに感謝するように勧めています(コロ3:15)。私たちは、この世の試練を乗り越える時にも、感謝するようにしましょう。 

親切 

キリストにあって共にあるためには、私たちが親切であること、そして他の人々への愛の道しるべとなることが必要です。イエス様はご自分と同時代の人々に親切にされました。同じように、たとえ相手から親切にされなくても、私たちは周りの人に親切にしなければいけません。苦しんでいる人のことを思いやり、その人の気持ちになり、支援の手を差し伸べてあげましょう。 

祈り 

キリストにあって共にあるためには、祈りを通してキリストと対話することが必要です。これは一人でも集まってでもできます。一人の場合は、必要を感じた時に、いつでも、どこでも、主に祈ります。数名で集まっている場合は、礼拝の中で共に祈ります。主は私たちを強め、導いてくださいます。賛美歌の一つの中で歌われているように、祈りを通してすべての弱さを主の御前に差し出しましょう(賛美歌226番)。 

2022年5月16日nac.todayより) 

nac.today: the news magazine of the New Apostolic Church International 

Copyright © 2022. All Rights Reserved.