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Catechism

イエス様はいつ助けてくださるのでしょうか。福音にはどういう目的があるのでしょうか。善い業とは、何にとって善い業なのでしょうか。こうしたことについては、たくさんの意見があり、中には間違っているものもあります。ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は、本当に大切なことが何なのかを明確にしました。

2月中旬、主使徒はアメリカを訪問しました。そして、レナート・R・コルプ教区使徒の担当する地域の使徒と監督との会議を行い、10日(日)にはノースカロライナ州シャーロットで礼拝を司式しました。700名が直接参加し、アメリカ合衆国及び中南米の教会に生配信され、数千名が参加しました。この礼拝で主使徒は、42年にわたり職務を行ったラインハルト・ヘヒト使徒の引退式を行いました。42年の内、17年間は使徒として奉仕してきました。ロバート・C・ファーガソン教区伝道師が使徒の叙任を受けました。

主使徒は基調聖句として、ヨハネによる福音書6章26~27節を引用しました。「イエスは答えて言われた。よくよく言っておく。あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもとどまって永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」

「キリストは、御自分を信じ、似た者となろうとする人に、永遠の生命を提供されます。」主使徒は、礼拝をこのようにまとめました。そしてこう付け加えました。「私たちには福音を宣べ伝える責任があります。」神様が私たちの内にお据えになった聖なる命に反映した振る舞いができなければいけません。

支配ではなく、解放

「イエス様がおいでになったのはなぜなのか。これを知ることが大切です。」シュナイダー主使徒はこのように述べて、五千人に食事をお与えになる奇跡に言及しました。パン五個と魚二匹で、食べさせることができたのです。人々は、イエス様がモーセの後継者か預言者に違いないと考え、イエス様を、ローマ人から自分たちを解放してくれる王にしようと考えました。主使徒は、こんにちでも同じような思潮がある、と説きました。教会に通い、信仰に忠実で、きちんとした祈りを捧げていれば、生活する上でイエス様が助けてくださるのではないか、というわけです。しかし、福音の大切なところは、そういうことではありません。助けてもらうことを目的にイエス様のところに行くのであれば、それは間違った理由です。悪しき者の束縛から人類を救済することが、イエス様の願いなのです。

道徳の講釈ではなく、神様との交わり

人々は聖書を、倫理規範をまとめたものとみなし、そこに書かれている教えや原則に従うなら、社会全体はもっと良くなる、と考えます。可能性は無いわけではありませんが、たとえすべての人が聖書に従って生活したとしても、問題の根本は解決しないでしょう。イエス様がおいでになったのは、永遠の生命を提供するためです。すべての問題を解決したいと願っておられ、こう述べておられます。「あなたがたが問題を抱えているのは、罪が支配しているからである。私は悪に勝利したから、あなたがたを罪から救い出したい。神様との永遠の交わりに導きたい。」

大切なのは働きではなく、キリストを信じて、キリストに集中すること

永遠の生命の得るためには、善い働きをする必要がある、と考える人がおります。しかし、イエス様はすでに永遠の生命を提供して下さっているのです。手に入れるものではありません。賜るものであり、常に恵みの賜物なのです。この賜物をいただくために、イエス・キリストを信じることが必要なのです。イエス様という人としておいでになり、犠牲となられ、復活され、再びおいでになることを信じなければいけません。そして「永遠の命を得るためには、水と御霊によって再び生まれ、私の肉と血を受けなければならない。聖餐を受けなければならない」とイエス様は真剣に仰せになっておられるのですから、これを実行することが大切です。イエス様はこうも仰せになりました。「永遠の生命が欲しいなら、自分の考えを捨てて、私に従いなさい。」礼拝に出席するとか、サクラメントを受けるということではありません。善い働きをするだけではありません。自分の考えや感受性をイエス様と一致させなければいけない、ということです。

人を改心させるのではなく、福音を宣べ伝える

隣人が救われるように。信仰を告白し、福音を宣べ伝え、イエス様への道を見つけられるようにするという務めが、私たちすべてにあります。どうすればできるでしょうか。すばらしい説教や、すばらしい礼拝や、祈りがかなうことを隣人に約束することでしょうか。実現することもありますが、しないこともあります。実現しなければがっかりしてしまいます。主使徒は、イエス様の時代に言及し、次のように述べました。「弟子たちがイエス様にとどまったのは、イエス様が神の御子であることを彼らが確信していたからです。こんにちにおいても、私たちの目的・信仰の目標がイエス様との一致であるということを理解しているならば、イエス様にとどまることができます。イエス様と緊密になりましょう。」そのためには、戒めを守り、神様の御旨を行うことが必要です。うまくいこうがいくまいが、関係ありません。この世的な祝福を得ようが得まいが、関係ありません。御旨を行うことです。私たちには確信がありますから、そうするのです。私たちはイエス様と一つなのですから、イエス様のお考えや御旨は、私たちの考えや意志なのです。

成功させる責任はありません。来る人の数に責任はありません。神様の務めとはそういうものです。神様に引き寄せられる人は、イエス様のところに来ます。私たちは道具として作用するだけです。それが私たちの本質なのです。

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