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Catechism

「兄弟姉妹の皆さん。心配しないで。主はここにおられるんです!」今回は、ドイツのビュンデで行われた2022年の復活祭記念礼拝でシュナイダー主使徒が行った説教の要約です。 

「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもう私を見なくなるが、あなたがたは私を見る。私が生きているので、あなたがたも生きることになる。」ヨハネによる福音書14章18~19節の御言葉です。女性たちが主の体に油を塗るために香料を買い、墓に向かうと、墓の入り口をふさいでいた大きな石が転がしてありました。女性たちは「誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と道すがら心配して話し合っていたところでした。彼女たちが動かすには、あまりにも重く、大きかったからです。ところがその石が転がしてあり、墓は空になっていました。主は復活されたのです。 

もう成し遂げられたのである! 

この話は、私たちすべてにとって、やはり大切なことです。主にお仕えしたいですし、主のために何かやりたいです。しかしどうやって主に仕えればよいか、ということで悩んでしまいます。たくさんの障害や問題があり、思い通りにお仕えできないのが実状です。何かが欠けていたり、使い物にならなくなっていたり、不足していたり、その他様々に難しいことがあります。よくわかります。しかし主が復活されたことを思い起こしてみましょう。心配しないでください。主はここにおられるのです。目には見えなくても、御業を完成させてくださいます。私たちが心配している間にも、主はもっとはるかに大きなことをしようとしておられるのです。 

まだしばらくは、信じて希望を持ち続ける必要がありますが、イエス様はすでに勝利しておられます。それに疑問の余地はありません。イエス・キリストが悪と死に勝利されたことは、仮説でも可能性でもなく、聖なる事実なのです。 

夢でも理想郷でもない 

イエス様の働きは、ある人たちにとって素晴らしい夢だったかもしれません。またある人たちはイエス様の話を聞きたいと思っていたことでしょう。しかしそんな彼らも現実に直面しました。イエス様の死です。「神の御子だ」とおっしゃっていたのに、神様はその人を十字架から降ろすことなく、助けることもなさいませんでした。世間では、イエス様は亡くなられたのです。 

しかしイエス様は「世はもう私を見なくなるが、私は生きている」と言われました。民衆によってこの世的には殺されるものの、ご自身の生命、本当の生命に実際に貢献しているもの、つまり御父との関係、神様との密接なつながりに、人間が手を付けることはできない、ということを、イエス様はご存じだったのです。「御旨は成し遂げられる。」このことにいささかの変化もありません。 

そしてまたおいでになる 

そしてイエス様は「あなたがたのところに戻って来る」と述べておられます。「あなたがた」であって「すべての人」とは言っておられません。世間はイエス様を忘れてしまっています。ですから復活されたイエス様は、以前からご自身を信じていた、女性たち、ペトロ、エマオに向かっていた弟子たち、使徒たちに姿を現されたのです。パウロによれば、「五百人以上のきょうだいたちに同時に姿を現された」とのことです。イエス様はそうしたご自分を信じた人々と出会われるたびに、何をなさったのでしょうか。次のように言って、慰めと安らぎをお与えになりました。「恐れるな。私はここにいる。あなたと共にいる。平和はあなたがたと共にある。」 ペトロを赦し、ご自分を捨てた弟子たちを責めることもなさいませんでした。そして、もう一度彼らに「あなたがたを遣わす」と念を押され、使命を与えられたのです。以上が、復活されたお方と、そのお方を以前から信じていた人々とが出会いを果たした時の一部始終です。イエス様は生きておられました。そして信じていた人々を慰め、平安を与え、強め、彼らと交わり、彼らを赦し、彼らに使命を与えるために、ご自分の姿を彼らに現されました。そして、イエス様は彼らに「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない」とお告げになったのです。 

イエスの言われることは本当である 

「私が生きているので、あなたがたも生きることになる」という意味を、弟子たちはすでに理解していました。彼らは主との出会いを果たし、神様やイエス・キリストとの関係を維持し、強化し、進展させることができました。彼らには確信がありました。「このお方の言うことは本当だ。主は私たちと共におられ、私たちを助け、導き、強くし、その上で私たちをお遣わしになる。」ですから、彼らはイエス様を全面的に信頼し、自信と勇気と希望に満ちていたのです。 

現代人の多くにとって、イエス・キリストは死んでいます。「なぜキリストは仲裁に入らないのか。なぜこんな状態を許しているのか。教えである福音とやらはどうなっているのか。どうせ、耳に心地いい思いつきなんだろう。善をもって悪を克服する、愛し合う、敵を愛する、許す、なんて現実離れした、全くの理想郷であって、実現するわけがない。美しい夢であり、聞こえの良い理屈でも、現実からは程遠い。」 

そんなことをキリスト者やキリストの会衆が期待しているわけではありません。イエス・キリストが私たちと共におられること、神様が私たちと共におられることを期待するのです。イエス・キリストはこう言われました。「心配するな、私は生きている。私は自分の使命を完成させる。誰も私を止めることはできない。今もすべて意のままである。言いたい人には言わせておけばよい。」 

こんにちの信徒は何があってもイエス・キリストとのこの関係を切ってはいけません。何度も言いますが、これは皆さんが決めることです。忠実であり続けたいなら、そうすればよいのです。神様を受け入れるか否かしかありません。キリストは生きておられます。そして私たちはキリストのように生きたいのです! 

 (2022年5月4日nac.todayより) 

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