New Apostolic Church Japan

洗礼はサクラメントの基本です。洗礼によって、人はキリスト者になるのです。しかしどういう方法で行うべきなのでしょうか。これについてイエス様は、ほぼ何も言われませんでした。イエス様御自身が誰かに洗礼を授けられたのかどうかもはっきりしません。それを知る手掛かりを、適切な方法で考察します。

聖餐についての考察は容易です。三つの福音書と一人の使徒が、イエス様によって制定された時の、イエス様によるすべての言動を詳細に記録しているからです。ところが洗礼については、そうした記録が一切ありません。

キリスト御自身が洗礼を授けたというのは、非常に考えにくいです。ヨハネによる福音書で洗礼のことが書かれていますが、洗礼を授けたのはイエス様でなく弟子たちである、ということをはっきり述べています。イエス様は洗礼をサクラメントとして制定しようというお考えが無かったのでしょうか。

実施要領の無い施行指示

いいえ、そんなことはありません。洗礼は救いに必要です。このことはイエス様御自身も、誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない、とはっきり述べておられます。ですからすべての国民に洗礼を授ける権限を、使徒たちにお与えになったのです。ただしそのやり方については、一言も触れておられません。

いずれにしても、キリストは、御自身の意志で、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられました。このことはどの福音書も認めています。しかしここでは、聖霊がどのようにしてイエス様に降ったのか、キリストが神の御子であるということが天の父の声によってどう証明されたのか、ということに焦点が当てられています。洗礼についてはっきりしているのは、ヨルダン川で行われた、ということしかないのです。

使徒言行録のほうが役に立つかもしれません。すべての国民に洗礼を授けなさいという御命令は、イエス様から出されています。つまりこの御命令が出されたのはイースター以後ということになります。

断片情報の寄せ集め

確かに、洗礼はキリストの教会と同じくらい古い歴史があります。すでにペンテコステの説教において、ペトロは受洗を呼びかけています。そしてこの呼びかけにおよそ三千人が応じています。ところが洗礼の形式については、やはりここでも示されていないのです。

フィリポとエチオピアの宦官(かんがん)が登場する場面は生き生きと描かれているものの、わかることは限られています。つまり洗礼を受ける人が水の中に入った、というだけでそれ以上のことは書かれていません。

とはいえ、使徒言行録及び使徒書簡に書かれているすべての断片情報を集めれば、全体像がはっきり見えてきます。

洗礼に欠かせない要素

キリスト教で行われる洗礼に必要なのは、

施与者:当時行われていた浄化の儀式と異なり、自分が自分に洗礼を行うということはありません。信徒に洗礼を施すために要請を受けた人物が必ずいなければなりません。

水:洗礼を意味するギリシア語は水中に沈む、あるいは水槽に入ることを想定しましたが、その方法については明確な記述がありません。

典礼文:新約聖書によれば、はっきりと「イエスの御名において」もしくは「キリストに与る」洗礼を、人々は受けています。

告白:キリストを告白することは要求されませんが、それを暗示したり改めて証しをしたりすることになります。

一致に向かう道

これ以外にも、初期キリスト教時代の洗礼には共通した様々な要素がありましたが、すでに基準作りに向かい始めていました。

成立時期を紀元1世紀にさかのぼり、教会の在り方をまとめた大全の起源とされる【ディダケー】という論述には、非常に具体的な解説があります。

それによれば、受洗者はまず、教義を習得する必要があります。そして二日間断食し、最後に流水の中に入るのです〔浸水〕。または――水が少ない場合――受洗者の頭に三度水をかけることで代用できます〔灌水〕。

按手は、洗礼に関連して繰り返し言及されている行為で、直後に行われる場合もあれば、かなり後に行われる場合もあります。いずれにしても、この按手は聖霊の賜物と関係した行為で、これも非常に重要なテーマです。聖霊の賜物については、このシリーズのあとで論じます。

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