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洗礼のやり方について、聖書にはあまり書かれていません。しかし洗礼にどのような意味があるのかについては、たくさん書かれています。今回はそれらを大まかに見ていきましょう。

洗礼について独立してまとまった教義は、「あまり」どころかまったく書かれていません。ただ、主に使徒言行録や使徒書簡には、ジグソーパズルのピースのような記述が至る所に見られます。おそらく最もわかりやすいのが、パウロが書いたローマの信徒への手紙6章です。すべてを考慮すると、聖書は洗礼について五つの特質を挙げています。

キリストと共にある共通の運命

「主イエスの御名によって洗礼を受ける。」多少の修正が加わったものもありますが、これは使徒言行録で用いられている文言です。このギリシア語の表現が、キリストは人々を御自分と民にすることを願っておられる、という意味なのか、あるいは、人々はキリストを御自分のものとなっていただきたい、という意味なのか、については、学者の中でも議論が分かれています。どちらにせよ、所属、結束、契約を意味しています。

とはいえ規範であるこの結束は、決して緩くはありません。これは生と死に共通する運命なのです。「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにあずかる洗礼(バプテスマ)を受けた私たちは皆、キリストの死にあずかる洗礼(バプテスマ)を受けたのです」(ロマ6:3)。

もう一度生まれることによる贖い

この結束は永遠の救いへ至る道です。それに必要な再生を提供します。これについて、新約聖書は三つの比喩を提示しています。

  • 新しい衣のようにキリストを身に着けるという表現は、エフェソ、ガラテヤ、ローマ、テサロニケ各信徒へての手紙にも、類似の文言があります。ここでいう衣とは、状態――特に神様の御前における新しい状態――を表しています。
  • 清潔にする目的で水を使って洗うという表現は、エフェソ、コリントの各信徒、そしてヘブライ人にあてた手紙、それに使徒言行録の中に書かれています。これは罪の赦しを表しています。
  • テトスへの手紙、ペトロの手紙、そしてヨハネによる福音書は、再生のための洗いまたは水による再生が存在全体の生まれ変わりである、と述べています。

聖霊という賜物を据える土台

洗礼は聖霊という賜物と密接に関連しています。ペトロはペンテコステの説教を行った時に、洗礼を受けることが条件である、と述べています。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるでしょう。」(使徒2:38)。

新約聖書はこの二元性を繰り返し強調しています。例えばコリントの信徒への手紙一6章11節には次のように書かれています。「しかし、主イエス・キリストの名と私たちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされたのです。」特にヨハネによる福音書3章5節にはこう書いてあります。「よくよく言っておく。誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。」

交わりを許される

洗礼は、信徒の交わりを許可するものとして体系的に記述されています。信徒の交わりを許可されることは、どこかのクラブの会員になるのとはわけが違います。特にこのことはコリントの信徒への手紙12章に、キリストの体を比喩に用いて、はっきり書かれています。体にある個々の器官はすべて相互に関連してし合っています。どの器官も相互に依存し合い、苦楽を共にします。

これは器官同士の関係に影響を与えます。違いは重要でなくなります。「キリストにあずかる洗礼(バプテスマ)を受けたあなたがたは皆、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人もありません。男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです」(ガラ3:27-28)。

最後の始まり

洗礼は救いに至る道の出発点ではありますが、すでに目的地にしっかり固定されています。このことが、ローマの信徒への手紙6章のテーマです。キリストに与る洗礼を受けた人は、罪の力に対して死んでいるのです。私たちがキリストのように死ぬならば、同じようにキリストと共に復活し、新しい命を得ることになるのです。

(6月11日nac.todayより)

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