New Apostolic Church Japan
nac.today latest news

It is said that the organ is t [...]

Here is this weekend’s helplin [...]

“Extraordinary times call for [...]

When two readers are talking a [...]

Catechism

洗礼を受けることによって、死刑の評決を下した人々もいれば、「千年の平和王国」を自分で築こうとした人々もいました。そしてこんにちに至るまでたくさんの教派があるのも、この洗礼をめぐる問題がきっかけでした。

そして宗教改革が、従来の流れが急激に変わることになります。1520年代初頭、チューリッヒとシュトラスブールが、宗教改革に失望した人々による運動の、最初の拠点でした。この人たちが望んだのは、教会が国家から完全に自由となることでした。彼らはあきれていました。偉大な宗教改革者たちの取り組みといっても、自分たちから見たら中途半端でしかなかったからです。

宗教改革者のうち急進派は、幼児洗礼の例が新約聖書に見られないということで、それまでの洗礼を無効と判断し、自発的に信仰告白する成人だけに再洗礼をし始めました。プロテスタントの諸侯や都市はこれに反応しました。すなわち1529年、シュパイアーの議会は彼ら――自分たちのことをアナバプテスト(日本語では再洗礼派)と呼んでいました――に死刑の評決を下しました。

このような緊張状態が緩和されなかったもう一つの要因は、アナバプテストの中でも終末論について急進的な考えを持った人たちが1534年、ミュンスター――その後まもなくその周辺地域全体に拡大――の参事会〔=議会のようなもの〕で多数を占めたことです。そしてこの人たちは、十戒に加えて財産共有制や一夫多妻制による宗教的独裁体制をとりました。彼らが千年続くと主張していたこの新しいエルサレムは、二年もちませんでした。〔歴史的詳細についてはこちらをご覧ください。

はっきりした答えを示していない聖書

しかし、幼児洗礼の問題は残されたままです。新約聖書を検証しても、確実な答えは書かれていません。

  • 幼児が洗礼を受けたという記述は一切ありません。ただ幼児洗礼を排除する旨の記述もありません。
  • 家族(リディアやステファノ)の長が家族ぐるみで(ギリシア語でオイコス)洗礼を受けた、という記述があります。ただし家族の中に幼児が含まれていたかどうかはわかりません。
  • この問題についてイエス様は「子どもたちをそのままにしておきなさい」と幼児洗礼を間接的に支持する論理を展開し「天の国はこのような者たちのものである」と幼児洗礼に反対する考え方への反証を挙げておられます。

幼児洗礼に関する明快な記述は、西暦200年頃にテルトゥリアヌスが著した論文に見ることができます。彼は幼児洗礼を擁護していました。50年後、教父キプリアヌスは、誕生後二日ないし三日目に洗礼を受けるべき、としました。そして紆余曲折の末、5~6世紀になって幼児洗礼が一般的に行われるようになりました。

要は信仰の問題

初期の教父であれ宗教改革者であれ、はっきりしていることが一つります。洗礼をどう理解するかによって幼児洗礼の是非が決まる、ということです。

  • 洗礼を受けるということは基本的に神様を証しするものだ、と理解しているならば、成人洗礼のみが是とされます。
  • 洗礼を再生と考える――ヨハネによる福音書3章5節に則して(「神の国に入るために、水と霊から生まれる」)――ならば、幼児洗礼も是認されてしかるべきです。
  • 洗礼とは原罪を洗い流すことである、と考えるならば、生涯においてできるだけ早く、幼児に洗礼を受けさせることの必要性が考えられます。

古くからある同じ質問に対する答えは、教派ごとに様々です。大多数の教派は幼児洗礼を認めています。カトリックも認めていますしプロテスタントも認めています。そして新使徒教会も認めています。メノー派、フッター派、バプテスト教会、ペンテコステ教会といった諸教派は、成人洗礼もしくは「本人の信仰に基づく成人の浸礼」だけを認めます。これによる、他教派による洗礼の執行方法を認めるか否かをめぐってしばしば問題が起きました。これについては次の機会に議論します。

Copyright © 2020. All Rights Reserved.