New Apostolic Church Japan

信仰生活の中で、天国と地上が本当に触れ合う瞬間が何度かあります。そしてこの瞬間はとても大事で、その瞬間すべてに名前があります。それがサクラメントです。サクラメントとは何でしょうか?サクラメントの由来は?サクラメントによって成就することとは?――今回は新シリーズの最初です。

花嫁と花婿による指輪の交換は、ただの象徴ではありません。二人は約束を交わすのです。そして二人の愛が見える形で示されるのです。お母さんが子どもに食事の支度をする場合、ただ食事を出せばよいわけではありません。そこにはお母さんの愛に満ちた配慮が食事に現れるのです。繰り返しますが、愛が見える形で表されるのです。

神様による人類への愛も、これととてもよく似ています。

神様はどのようにして御自身を現されるのか

神様は御自身の本質を、実に様々な方法で現されます。まず、この世の被造物の中に、御自身の本質が含まれます。すべての人がその被造物の中に、創造主を悟ったり、創造主の臨在を認めたりできるわけではありませんが、被造物は目で見ることができます。

次に、人類の歴史において、神様の御旨を通じて御自身が現されます。例えば、イスラエルの人々に対しては、伝達者や預言者が、そして世界全体の人々に対しては、人となられた神様の御子を通じて御自身を現されました。このことは旧新約聖書両方で証しされております。

そして最後に、ペンテコステの時に聖霊が注がれて以来、神様はキリストの教会で、直接人と出会うことができます。神様の御旨は、福音が宣教される中で明らかにされます。そして神様の本質を認識できるのが、サクラメントなのです。サクラメントという聖なる行為において、神様の愛は、目で見ることができます。

サクラメントに対する教会の捉え方

しかし、そもそもサクラメントとは何かという問題があります。カトリック教会では――正教会も同じですが――七つのサクラメントを承認しています。プロテスタント教会は二つだけです。それに対して新使徒教会は三つのサクラメントを認めています。また自由教会の多くは、象徴的な行為でしかないとして、サクラメントを一切行っていません。

このように、サクラメントの捉え方に、差が生じたのはいつからでしょうか。どうして差が生じるようになったのでしょうか。新しいナックトゥデイのシリーズで、これに対する答えをお届けします。さらにより多くの疑問にもお答えします。その中でびっくりするようなことも出てきます。

聖書における根拠

話を進める前に、聖書には「サクラメント」という語がありません。聖書に出て来るのは「ミュステリオン」というギリシア語だけです。ラテン語では「サクラメントゥム」と訳出されます。しかし、教会の初期において、このような「秘義〔神秘〕」は、いかなる行為とも関係がありませんでした。

初代教会の歴史が経過する中で、最終的に「誓い」を意味するラテン語が、天来の救いという目に見えない現実を、見える形で暗示し始めました。そして、宗教改革によって、さらに劇的な展開を迎えることになります。

それでもこれら基本的行為は、聖書に十分基づいています。このシリーズでは、新使徒信条で定める三つのサクラメント、すなわち洗礼、聖餐、御霊の証印についても詳しく説明します。そしてこのそれぞれの聖なる行為の中で現れる救いの要素と、その要素が人類にもたらす効果についても解説します。

形はどのように発展したか

このような形で救いが現されるようになると、教会ごとに差が生じるようになりました。洗礼において、額に水をつけるだけの教会もあれば、水の中で体を沈めなければならないとする教会もあります。幼児洗礼を認める教会がある一方で、大人のみ洗礼を認める教会もあります。

主の晩餐については、さらに多様化しています。サワードーのパンを使う教会、パン酵母の入っていないパンを遣う教会、赤ワインを使う教会、白ワインを使う教会。ウエハースにぶどう酒を垂らしたものを使う教会。様々です。

理由もなく多様化したわけではありません。この多様性に触れる中で、このシリーズは読者の皆さんを、発見の旅へといざないます。神様の愛のしるしが様々に示されることを発見する旅です。

(1月22日ナックトゥデイより)

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