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イエス様にとっての最後の晩餐は、過越の食事だったのか。この疑問が引き金となって、教会における最大の分裂を招きました。そしてこんにちに至るまで、この疑問はサクラメントの執行方法に決定的影響を与えています。疑問の根底には、聖書が抱える矛盾にあるのです。

パリッとしているのか、ふんわりしているのか。パン種〔イースト菌〕が入っていないのか、それとも入っているのか。ともかく、聖餐の要素である「パン」はどう焼くべきなのか。これは、西方と東方のキリスト教徒が11世紀に陥った問題の一つでした。そしてこれが要因となって、カトリック教会と正教会という、教会大分裂まで起きてしまいました。カトリック教会も正教会も、聖書を味方につけていました。

福音書の中の矛盾

マルコ、マタイ、ルカの各福音書はすべて一致しています。「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠(ほふ)る日、」イエス様は、この伝統的な祝祭の食事のために、弟子たちを集められました。これはエジプトで奴隷となっていたイスラエルの民が脱出したことを記念する祝祭でした。エジプトを出るためのことを急いでやらなければならなかったため、パン種が膨(ふく)らむのを待つ時間がなく、パリっとした平べったいパンで過越祭を祝いました。(そしてそれはこんにちまで続いています。)

しかしヨハネによる福音書は最後の晩餐を、少なくとも一日早くしています。そうするとパン種の入ったパンを食べることが可能になります。ヨハネの時間配列では、イエス様が十字架上で死なれたのが、至る所で過越のための子羊が屠られているのと全く同じ時間に設定されています。エジプトを脱出している間、イスラエルの民を死の使いから守ったのは、家の戸口に塗られた子羊の血でした。今や、全人類を購い出すのは、イエス様の血となったのです。

こうした象徴的描写に合わせるために、ヨハネは記事内容を変えたのでしょうか。その答えの手がかりを得るために、学者たちの研究は何世代にもわたっています。

新約聖書から手がかりを探す

専門家にとっては、ヨハネの時間配列のほうが理にかなっています。果たしてイエス様は夜の間に逮捕され、過越の祝祭日に十字架に磔となったのでしょうか。もしそうなら、当時では律法の上でも社会的にも信じられないことでしょう。マルコもマタイも「祭りの間はやめておこう。民衆が騒ぎ出すといけない」と記述することで、この時間配列を否定しています。

一方、最後の晩餐では他にも、例えば、パンを裂きながらの感謝の祈り、ぶどう酒の祝福、食事が終わる時の賛美の歌のように、過越の食事でも行われていることがたくさん行われていました。こうしたことは皆、他の祝祭の食事や毎日の食事の時にも共通して行われていました。

ただし、最後の晩餐をめぐるこれら一連の出来事を、物語として磨き上げるだけの十分な理由は、マタイ、マルコ、ルカにもありました。ここで、それまでの過越の食事から主の晩餐に新たに取って代わり、旧約から新約へと移行したのです。

そもそも実際はどうなのか

解釈をめぐる意見は堂々めぐりを繰り返しています。二つの見方のうち、どちらも主流になることは、現段階では難しいです。

しかし、一つ確かなことがあります。最後の晩餐は、こんにち諸行為の規定に従って行われているセデルの食事とは違っていた、ということです。過越の食事を行う規定が拘束力を持つようにったのは、早くでも紀元2世紀頃です。イエス様の時代に過越の食事を規定する正確な順序〔セデル〕は、ほとんど分かっていません。

そもそも聖餐のパンとはどういうものなのかについて、イエス・キリストは、まったく別な食事の時に、明らかにしておられます。例えば五千人に食事を与えるという奇跡をなさった時に、こう仰せになりました。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがない。」

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