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Catechism

教会暦によると、今は受難節。断食と悔い改めの時期です。受難節は復活祭直前までです。イエス・キリストの復活をお祝いする復活祭まで、もうすぐです。神様が私たちに対して考えておられることや私たちになさることについて、じっくりと考える絶好の機会です。

2020年3月8日の説教は、ルカによる福音書に書かれているすばらしいお話に基づいて行われます。それは、規定の病を患った十人の病人が主のところへやって来たというお話です。この病気によって十人は気の毒な状況になっていました。主は彼らに向かって清くなるよう仰せになると、十人の病気が癒されました。その後どうなったでしょうか。主のところに戻って来て感謝を伝えたのは、十人のうち、一人だけでした。他の人たちはそれぞれどこかへ行ったきり、二度と戻って来ませんでした。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を崇めるために戻って来た者はいないのか。」こんにちの私たちであれば、戻ってこなかった九人に対して、恩知らずで無礼だ、と思うでしょう。イエス様から癒していただいた十人は、孤立した状況から普通の生活に戻ることができたのですから、それを考えれば、その恩人に感謝すべき理由が、彼らにはありました。ところがこの九人は、至極当然なこと、すなわち感謝することを忘れたのです。自分のことで頭がいっぱいになってしまったからではないでしょうか。

この聖書の言葉は、ただすばらしいだけではありません。私たち自身の心に聞いてみるよう、訴えているのです! 私たちはどのようにして主に感謝するでしょうか。答えははっきりしています。神様を信頼し、イエス・キリストに従うことが、感謝を表す一つの形です。イエス・キリストは世の救い主であって、病人の癒しを行う人ではありません。

福音を証しする

三月第三日曜日は、神様の言葉が持つ力を検証します。神様の言葉によって私たちは言動を通じて、福音を証しし宣べ伝えます。神様は、御自分の証人とすべく、私たちをお選びになりました。困難な環境下でも、神様は御言葉が然るべき効力をもたらすようにしてくださいます。然るべき効力とは、自発性を促す力です! 事実、教会で多くのことが変化したり、私たちの周囲の世界が様々に変化しても、福音の宣教に無駄はありません。

進んで仕え合う

三月第四日曜日の説教から、主の死を記念する聖金曜日と主の復活を記念する復活祭を控えて、イエス・キリストの受難に焦点を当てていきます。私たち人間はいつもすべてのことを理解できるわけではありません。少し時間がかかる時もあれば、全く理解できない時もあります。主の弟子の一人であったシモン・ペトロも、神様の御旨を理解できない時がありました。「〔主は〕シモン・ペトロのところに来られると、ペトロは、『主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか』と言った。イエスは答えて、『私のしていることは、今あなたには分からないが、後で、分かるようになる』と言われた。ペトロが、『私の足など、決して洗わないでください』と言うと、イエスは、『もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何の関わりもなくなる』とお答えになった。」

「このことをどう理解すべきか」と、こんにちの私たちは考えるでしょう。イエス様が弟子たちの足を洗ったことのほうが、座って食事する前に行う伝統儀式より、ずっと大切でした。ここでイエス様は、真剣で心からの奉仕をするための手本を弟子たちに示されました。イエス様は、まさに最期の時を迎えつつあったのですから、人から勇気づけてもらい力づけてもらうのが自然でしょう。それなのに人々がイエス様に奉仕するのではなく、イエス様が人々に奉仕なさったのです! このことから、大切なのは、地位や上下関係や人から褒められることや認めてもらうことではなく、互いに仕え合い尊敬し合い配慮し合うことであることを、弟子たちは学んだのです。イエス様に従うのであれば、謙虚で無私になって奉仕しようと決意します。認めてもらうことなど求めません。このような姿勢で奉仕するならば、信頼に足る主の証人になることができます。

誰一人排除しない

足を洗われた後、最後の晩餐を執り行われました――受難の時だけではなく、今も会衆の中で行われていることです。二月最後の日曜日は、キリスト者が常に欠かすことなく重要視してきたサクラメントについての説教でした。すなわち、聖餐であります。聖餐は、イエス様が苦しみと死に臨まれる前に、御自身で制定されたものです。イエス様のサクラメントです。これにふさわしく与る人は、皆キリストと命の交わりを得ます。神様から洗礼と御霊の証印を通していただくものが、聖餐によって強められ守られるのです。

聖餐は一致をもたらします! 私たち一人一人がキリストに結ばれるならば、私たちも互いに結ばれます。なぜなら聖餐を通して、私たち皆が同じパンを食べ、同じぶどう酒を飲むからです。私たち皆が別々の個性であっても、キリストは皆を愛しておられること、同じように愛してくださることを認識して、人々に接しましょう。

(3月3日ナックトゥデイより)

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