New Apostolic Church Japan
nac.today latest news

It was always there, a large c [...]

The new Sunday School teaching [...]

As an ongoing physician, Lacey [...]

Science and religion are incom [...]

Catechism

人は神様と似たものでしょうか。それとも同じようなものでしょうか。人は神様のかたちに<神様にかたどって>創造された、とはどういう意味でしょうか。単純な質問ですが、答えるには難しいです。

聖書では、天地創造の過程で、人を神様のかたちに創造された、と書かれています。新共同訳聖書では、神にかたどって、と書いてあります。神様は人を、男と女に創造されました。神様のかたちに人が創造されたという概念は、神学で古くから繰り返し取り上げられてきたテーマで、どちらかというと奇妙な仮説がいろいろ立てられてきました。壮麗などという誤った錯覚が、優越性という傲慢さをもたらしたことによって、数々の戦争が引き起こされてきました。幼稚なご老体であるかのように印象づけて貶められたり、不完全な人間と同類であるが如く見下されたりして、神様が極めてひどく扱われています。こうした人間的な考え方にはすべて、ある共通点があります。それは神が人のかたちなら神は人と同等であるという考えに基づいている、ということです!ところが、神のかたちに人が創造されたという概念があまりに固定化している原因は、その真逆にあるのです。つまり、人が神様のかたちに創造されても、神様が人のかたちであるということではないのです!

神様が御自分のかたちに人を創造されたのである

古代ギリシア語のエイコーン、そのラテン語訳のイマゴという語があります。現代聖書研究においては、この語は「神の同じようなもの」を表現するようになりました。旧約聖書から見れば、この「神の同じようなもの」という表現には当然問題があります。なぜならヘブライ語では、神のかたちに人が創造された、あるいは「神に似たもの」として人が創造された、と書いてあるからです。これはどういうことでしょうか。

教理要綱3章の3.2項の解説には次のように書いてあります。「[人は]見える被造物の中で例外的な地位を与えられた…。つまり人は神に愛され、神から語りかけていただくことのできる存在である。」さらに、神のかたちに人が創造されたということは神がイエス・キリストによって擬人化した事実を表している、と述べております。イエス・キリストは第二のアダムであり、キリストによって神様を完全な姿で見ることができます。しかしだからといって、神様の本質に関する何らかのものを人の性質から結論づけられるということではない、神様の本質はあくまでイエス・キリストに限ったものでである、と教理要綱では警鐘を促しています。

神のかたちに、とは責任を負って、ということ

教理要綱によれば、人は、話をしたり、歌を歌ったり、笑ったり、腹を立てたり、喜んだり、物事を考えたり、判断したり、責任をもって行動したり、良心的な生活を営んだり、未来を見据えたり、物事を探索したりすることができる、生まれつきの才能を持った存在であります。さらに次のように書いてあります。「神はこの特別な被造物に、生命力をお与えになった。さらに愛、個性、自由、理性、不滅性を、御自身と同じようにお与えになった。神のおかげで、人類は創造主を悟り、愛し、称えることができる。それゆえ、人類は、たとえ真の神を悟れなかったり、他のものを代わりに信じたりすることがあっても、もとは神から出たものである。」

また、教理要綱には次のように書いてあります。「物事を自由に決められる能力が人に与えられているのも、神に似せて人が造られたことに由来している。それと同時に、人は自由を与えられていることによって、自分の行動に責任が伴う。人は自らの行いによって生じた結果を受けなければならない(創2:16 -17)。」

男も女も等しく神様のかたちに創造された

男と女は共に等しく神様のかたちに創造されたので、男も女も本質的には神様の似姿であります。そう聞くと簡単に思えますが、必ずしも世界中のあらゆるところで受け入れられていることではありません。男と女、女と男、共通して創造された部分がある一方で、互いに補完し合うためにも創造されました。そして、教理要綱に書かれているように、両者ともに地上を「支配」する任務、つまり地上を形成しそれを保護する任務が両方にあります。この任務が与えられたことにより、重い責任を負うことになりました。つまり、「地上を支配する権限を与えられたからといって、被造物を無節操に扱う権限まで与えられているわけではない。人は神に似せて造られているのであるから、天来の性質を備えている者らしく、つまり分別と慈しみと愛をもって被造物を扱う義務がある。」

神様による人間の創造を考える上で指針となる原理は以下の通りです。

  • すべての人類は、神様によって創造されました。人類は被造物の中で無類のものであるため、基本的には優れています。
  • 人は互いに神様のかたちに遭遇します。隣人も神のかたちをしています。
  • 人類は大きな責任を担っており、この責任によって生きていくことが重要です。神の被造物は、私たちの徳を必要としているのです!

Copyright © 2019. All Rights Reserved.