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Catechism

奉仕する ― 2023年標語には二つの側面があり、奉仕はそのうちの一つです。奉仕はまず礼拝から始まります。礼拝というのは、実は神様が人に仕えるためにあるものではありません。主使徒による新年礼拝の説教の、二回目です。

〔動画を視聴する場合は、下の画像をクリック/タップしてください。1回目はこちら→

礼拝で奉仕する ― 賛美と崇拝

今のうちからこれができるようにしなければいけません。思い出してください。「聖書の中で、旧約聖書の中で、神様に仕えるとは神様を崇拝し賛美することだった」と申し上げました。新天新地においては、この奉仕が完全な形で崇拝・賛美することとなるのです。神様に奉仕するとは、すべてを放棄し、神様を崇拝・賛美するために御許に行くことです。それが礼拝なのです。神様に永遠にお仕えすること、神様を永遠に崇めること、神様の栄光を永遠に称えるように、私たちは召されています。これが今のうちからできるようにしなければいけません。そしてそしてその絶好の機会が、礼拝なのです。

礼拝で奉仕する ― 霊的な犠牲

私たちは、昔のユダヤ人と同じように、主にお仕えします。犠牲を献げることによって、主にお仕えします。これは献金と関係ありません。霊的な犠牲を献げるのです。私たちは礼拝に来ると、隣人を赦します。そうすることで復讐しよう、報復しよう、非難しようとする思いを捨てるのです。これが御心に適う犠牲なのです。なぜそうするのでしょうか。それは神様との共同体に属したいからです。復讐や報復や非難は、神様との交わりになじみません。

礼拝で奉仕する ― 神の御旨を聞く

新天新地に入るためには神様の御旨に完全に適っていなければいけないと言うことを知っていますから、神様の御旨を聞くために、私たちは礼拝に行きます。御旨に適合しなければいけません。ですから、神様の御旨に合わないものはすべて放棄しなければいけません。礼拝へ行って、神様の御旨を聞くと、「あ、これは御旨と合っていないな。神様は承知なさらないな」と分かります。その場合は、自分の意見を捨てなければいけません。御旨に合わない、承知なさらない特徴のものは、放棄しなければいけません。自分が変わらなければいけません。神様の御旨に適っていないからです。御旨に適わないものは捨てる必要があります。このようにして、礼拝で主にお仕えするのです。

礼拝で奉仕する ― 隣人の益のために

また、隣人に仕えることによって、主にお仕えします。言うまでも無いことです。「誰でも私に仕えたいと思う者は、自分の隣人に善を行いなさい」とイエス様は言われました。そして弟子たちの足を洗い、手本をお示しになったのです。イエス様がおいでになったのは、仕えられるためではなく、仕えるためでした。私たちが礼拝に行くのは、兄弟と一緒に祈るためです。私たちが礼拝に行くのは、姉妹に寄り添っていることを分かってもらうためです。「さあ、一緒にお祈りしましょうね」と声をかけるためです。兄弟、姉妹、その他の人々が礼拝を体験できるように、礼拝に参加し、礼拝に貢献するのです。礼拝は一人でできません。うまくいきません。礼拝を体験できるようにするには、会衆が必要です。そして、たとえ一度だけ、自分にとって何の益にもならないことがあったとしても、隣人が礼拝を体験できるように貢献したことになるのです。これも神様にお仕えすることの一つです。このようにして、私たちは神様にお仕えするのです。そして、私たちはキリストと共に奉仕します。なぜなら、私たちが何をするにしても、その大部分がイエス・キリストおかげであることを、よく分かっているからです。

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1132054

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