New Apostolic Church Japan

物事が完成したことを説明するのに、一言で済む場合がります。たった一つの単語で十分なこともあるのです! 単語一つで、非常に強力な意味を持つのです。聖金曜日を一つの単語で説明できるでしょうか。やってみる価値はあります。

聖金曜日は、ナザレのイエス様が息を引き取られた日です。死に至らせるため、そして権力の見せしめとして、イエス様を十字架に釘打ったのです。裏切りと内密による殺人では物足りなかったのでしょう。イエス様の死は、群衆への見世物として、公衆の場で行われなければなりませんでした。この場面を、福音書の記者たちはどう扱っているのでしょうか。彼らは長い苦しみの有様を解明し、物語を書き、主役と脇役を決めていったのでしょうか。

イエス様が亡くなられる様子の記述は2、3ページのみで、四福音書でそれぞれ1~2章分あります。そしてこの中に、こんにちまで記憶されていることが描かれています。福音書において、イエス様の死は計画表であり、生涯をかけた課題であり、福音に準ずるものなのです。

「時が来た」

これは悪い前兆を表明しているのです。時間が来ると、次に起こることに何の影響も及ぼしません。生涯という書物では、最終章の始まりです。イエス様がこの言葉を言われた時、弟子たちは草むらで寝ていて、イエス様と一緒に寝ずの番をしようという気はありませんでした。イエス様が裏切りに遭った日の晩は、イエス様にとって最も寂しい晩なのです。

そして、運命の日がやって来ます。大混乱に陥り、迫害者が大声でわめきたて、皮肉、嫉妬、憎悪、権力欲が恐ろしいほどにうごめきます。決着の時です。当局に引き渡され、権利を失い、暴力と恐怖のスパイラルに陥った人の思いは如何ばかりでしょう。これにイエス様はどう対処なさったのでしょうか。どうご自身をお守りになったのでしょうか。

「父よ、彼らをお赦しください」

言葉数は少なく、落ち着いて放たれた、赦しを請う言葉です。たくさんのことを言おうと思えば言えたでしょう。ピラトはイエス様に「誰の権限で自らにこのようなことを課すのか」という最も重要なことを尋問しています。するとイエス様は「人を、差別せず見返りを求めずに、赦すことである」とお答えになりました。

「テテレスタイ」

この単語こそ、聖金曜日を最も強く表す、締めくくりの言葉なのです。この語は、ヨハネによる福音書のギリシア語原典にあります。「成し遂げられた」と訳されています。「目標に到達した」「実現した」「完済した」という意味です。イエス様が苦しまれたのは、私たちのためです。イエス様の死を以て、私たちを買い戻してくださったのです。「…私たちを訴えて不利に陥れていた借用書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださったのです」(コロ2:14)。

「苦痛は止み、消え去る。」これがすべてを説明しています。神様の愛という新しい虹が、人類に現れるのです。イエス様が死なれたのは、二度と破滅をもたらさないためです。失望を生まないためです。すべてが破壊され沈没していく一方、人々への愛による神様のご計画は有効です。「テテレスタイ」というこのたった一つの単語は、福音の中の福音です。苦しみの道は、故郷への一本道です。一つの計画が完成へと至るのです。「テテレスタイ」によって、この世が沈んでいくのではなく、新しい世が顕れるのです。

次は?

何が成し遂げられるのか。多くの人がこう問うてきたことでしょう。イエス様が実際に成し遂げ完成なさったことを、人間がすべて理解することは絶対に不可能です。イエス様は私たちを地獄から救い出すため、文字通りそこを通り抜けて来られました。聖金曜日は私たちに、いくつかの答えを与えてくれます。「死は、新しい生命の始まりだから、脅威ではない。」「死の門が開くことで、私たちがそもそも出た場所、すなわち神の玉座に至る通路を通ることができる。」「聖金曜日が天を開くことで、イースターに昇る太陽が地平線から顔を出すことができる。」

(4月2日nac.todayより)

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