New Apostolic Church Japan
nac.today latest news

It is said that the organ is t [...]

Here is this weekend’s helplin [...]

“Extraordinary times call for [...]

When two readers are talking a [...]

Catechism

強さは落ち着きの中に――いつもわかっていることです。時には教役者も十分な休息をとる必要がありますし、自分の話を聞いてもらう必要があります。


「あなたがたは、私が飢えていたときに食べさせ、喉が渇いていたときに飲ませ、よそ者であったときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに世話をし、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(マタ25:35-36)。

このイエス様が言われたことが明らかにしていることは、牧会には多くの側面がある、ということです。とはいえ要は、牧会はそれを行うべき人物―――弱くない人や病気でない人や牢にいない人――だけができることです。

世話をすること――隣人だけでなく自分の魂の世話もすること――は現職の教役者一人一人の務めです。古い時代の忠告は今も通用するのです。

静かな所で休もう:「イエスは、『さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行〔くがよい〕』と言われた」(マコ6:31)。――イエス様を補佐していた使徒たちは、いつもより骨の折れる作業に疲れ果てていたため、静かな場所で休憩する必要がありました。物事が継続する中で肉体的に精神的に強さを維持するためには、少し休むことが大切です。一度に色々なことにかかりきりにならないことが大切です。極限まで無理をして、できそうにないことまで手を出して、責任感を勘違いして燃え尽きた挙げ句、結局何もできなかった、ということではいけません。

意識して休もう。「イエスは、『…しばらく休むがよい』と言われた」(マコ6:31)。――いっさいの作業や務めの合間に、新たな力を得るために、時々小休止することが必要です。一日中大事な務めを中断すべきということではなく、牧会の前後は意識してきちんとした休息時間を設ける必要があるということです。そうすることが牧会する教役者もされる人も有益なのです。イエス様は弟子たちに、内面的にバランスのとれた状態にすることの重要性を求めておられるのです。

大局的に捉えよう:「私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰にしっかり立っているからです」(一コリ1:24)。これは、教役者で有る無し、老若男女、そういうことは関係なく牧会に携わるすべての人に当てはまります。牧会を通して私たちは実に様々な生活状況を経験します。牧会は神様に導きますし、生活の具体的支援にもつながります(教理要綱12.4)。しかし牧会が何かを支配したり要求したり抑制したりするようなものではありません。この大局観を繰り返し持つことが教役者の務めです。

自分の話を聞いてもらおう:教役者が与えられるものより多くを要求されたら、あるいは最初から持っていたものよりもすでに多くを与えてしまったなら、この教役者も牧会の提案を受けることが大切です。教役者も人ですし、聞いてほしいこともあります。人の話を聞くことも教役者の務めですが、時には教役者自身も誰かに自分の話を聞いてもらう必要があるのです。

使徒パウロは特に教役者に対して、こう警告しています。「どうか、あなたがた自身と羊の群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神がご自身の血によってご自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命されたのです」(使徒20:28)。自分自身の世話をして、心穏やかになって、肉体的にも精神的にも強さを維持することによって、はじめて隣人に力と愛にあふれた牧会ができるのです。

「隣人を自分のように愛しなさい」(レビ19:18)――つまり、隣人を愛するだけでなく、自分を愛するように隣人を愛しなさい、ということなのです!

(7月23日nac.todayより)

Copyright © 2020. All Rights Reserved.