2024年7月8日 0:00:00 JST

「未来を見据えてイエス様を信じているか。」これは最近発表された教義論文の問題提起です。この論文は、信頼、試練、しるしなどを扱っていますが、何よりもキリストの再臨に焦点を当てています。

 

 

「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」ルカによる福音書18章8節のこのおなじみの節がこの論文の導入部分をなしています。論文はすでに「2021年礼拝指針特別第2号」で教役者に発表されており、今般、最新号の『コミュニティ』に掲載されています。日本語版『コミュニティ』には、10月号に掲載される予定です。「イエス様はこの問題を提起されたことによって、ご自身が再臨された際における、信仰の重要性を強調したかったのです」とジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は記しています。

 

ところで、ここで言う信仰とは何を意味するのでしょうか。

 

未来のある信仰

キリストを信じるとは、自分自身の復活、神様との永遠の交わり、新しい創造を信じることです。キリストがもう一度おいでになったときに、平和王国に入らせていただくためには、当然ながらその再臨を信じなければいけません。残念なことに、キリスト教諸教会の多くは、もはやこの未来への希望を共有していません。この希望から後ずさりしています。「しかし、この終末論的概念がなければ、キリスト教の存在理由はないのです」と主使徒は論じています。

 

キリスト教諸教会の多くは、キリストの再臨を、歴史における特定の時点で起こる現実の出来事や神様の介入と考えず、信徒それぞれが有する霊的過程として捉えています。主使徒はこの捉え方を強く反対しています。主使徒はこう論じています。「擬人化〔受肉〕し、復活され、昇天なさったのですから、第一の復活も成し遂げてくださるのです。」

 

証拠ではなく信頼

神様を信じるとは、御言葉を無条件に揺るぎなく信頼することです。信じるとは、天来の真理を理解できなくても従うことです。神様は私たちに、人間的知識をすべて捨てるよう求めておられるわけではありません。人間の理性では捉えきれない真理に到達するために、信仰の道を歩むよう勧めておられるのです。キリストの再臨を誠実に、真剣に信じるためには、しるしではなく、ひたすらキリストの御言葉を基本としなければいけません。主使徒は次のように書いています。「聖書には主の再臨に関して多くのことが書かれていますが、こうしたことに基づいて、キリスト再臨の実現時期や、実現の過程を解明しようとするのは愚かなことです。」

 

限界を自覚する

悪は人間を神様から引き離すために、神様の言葉を信頼しないよう企てます。このような試練を神様がお認めになるのは、その試練が私たちの救いに貢献するからです。神様はすべてをご存じです。私たちの信仰を知るのに私たちを試みたり、救われるべき人物を選ぶために私たちを試みたりする必要はないのです。

 

神様がお認めになる試練は、自身の信仰の強さを認識し、必要な調整が行えるようになっています。それ故、神様は私たちが自分の信仰を適切に評価して、手遅れになる前に対応できるよう望んでおられます。

 

対応とは、謙虚な姿勢で神様のところに行って「信じます。信仰のない私をお助けください」(マコ9: 24)と申し上げることです。主使徒は論文の中でこう述べています。「自己満足せず自らを省み、謙虚な姿勢で神様に信仰を強めていただくようお願いしましょう。そうすれば神様は強めてくださいます。」そしてコリントの信徒への手紙一10章13節を引用しています。「あなたがたを襲った試練で、世の常でないものはありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」

原著: Andreas Rother

https://nac.today/en/158033/1290371

nac.today: New Apostolic Church International

 

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