13 新使徒教会の信徒とその信仰生活

733 新約において、犠牲を捧げることは、どのような意義がありますか。


犠牲を捧げる旧約時代の礼拝は、人が神と和解することを目的としたものでしたが、キリストが犠牲となられたことによって、その意義を失いました(ヘブ8-10章参照)。新約聖書でいうところの犠牲とは、福音に則して生活することを意味します。それゆえ使徒パウロはキリスト教徒に対してこう言いました。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(ロマ12:1)。


新約: 問175→の解説を参照

「罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。」ヘブ10:18

734 自発的に犠牲を捧げる姿勢において、一番の模範は誰ですか。


イエス・キリストは、自発的に犠牲を捧げる姿勢において、一番の模範であります。キリストは人類を愛しておられました。その愛によって、供物として、そしていけにえとして、御自身の命を捧げられたのです。


主によるこの犠牲の業に匹敵する犠牲はあり得ないものの、犠牲を捧げようとされた主の姿勢を模範とすべきです。

「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣(なら)う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、…。」エフェ5:1-2

735 私たちが自発的に犠牲を捧げようとする根底には、何がありますか。


キリスト教的意味における犠牲は、義務として強制されるものと考えるべきではありません。犠牲を捧げることで、報酬を期待すべきでもありません。神を信じ、感謝し、愛しているからこそ、自発的に犠牲を捧げようと思うのです。

736 会衆での生活において、自発的に犠牲を捧げようとする姿勢を、どのように具体化しますか。


自発的に犠牲を捧げようとする姿勢は、会衆での生活において、直接現れます。多くの教会員は、会衆で奉仕をするために、自分の時間や取り組みや能力の多くを、無報酬で捧げます。その多くは、教会における音楽や教育の面で発揮されます。ごく一部の例外を除いて、教役者の働きも無報酬です。

737 霊的な犠牲とは何ですか。


「霊的な犠牲」とは、自分の考えよりも神の御旨を優先させて、神のお望み通りに導いていただくことです。

738 犠牲と祝福には、どのような関係がありますか。


基本的に、神はすでに人類を祝福して下さったのですから、人類のほうが犠牲を捧げればよいわけです。それゆえこの犠牲は、いただいたことへの感謝の表現です。


どのような犠牲であれ、心の姿勢が決定的要素です。感謝と愛によって自発的に捧げられた犠牲であれば、祝福が伴います。祝福は、例えばこの世的な福利という形で、この世の生活の中で体験することができます。しかし祝福は本来、霊的性質のものです。キリストの徳によって天の救いに与(あずか)ることもその一つです(エフェ1:3-7参照)。

「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承(ふしょうぶしょう)ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業(わざ)に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」二コリ9:6-8

739 結婚とは何ですか。


結婚とは、男性と女性が、神のお望み通りに、生涯にわたって一つに結ばれることであり、その結婚には神の祝福が臨みます。結婚は家族の基本を構成するものでもあります。結婚は、男女双方が自分の意志で互いの貞節を公(おおやけ)の場で約束することに基づいています。良い婚姻関係のためには、お互いに愛し合い誠実であることが、不可欠要素です。


複婚(複数の伴侶を持った婚姻関係)は、キリストの教えや伝統になじみません。

740 創造の業という観点から、結婚について、どのようなことが言えますか。


「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ』」(創1:27-28) ― つまり男性も女性も神にかたどって造られているのです。異なっているものの神の御前に平等である男女は、神の祝福を受けています。


人は、仲間を持つことを前提に造られています。男性にも女性にも、伴侶を通じて、自分を支え助けてくれる相手がおります。「主なる神は言われた。『人が独(ひと)りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう』」(創2:18)。


男女は結婚することによって、共に一つに結び合い、一生涯にわたってそれを維持しようとします。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創2:24)。

741 結婚の祝福にはどのような意義がありますか。


結婚の祝福には、様々な効果があります。具体的には、愛と貞節が永続するための力を与えられます。仕え合い、助け合い、理解し合う自発性が促されます。赦し合い、互いの違いを調整できます。しかし、受けた祝福が効果を現すのは、二人がふさわしく行動する場合だけです。

 

祝福行為、結婚の祝福:問660→以降, 671→を参照

742 充実した結婚生活という点で、キリスト教にはどのような意味がありますか。


信仰の問題について、夫婦の考えを一致させておくことが望ましいですが、二人がキリスト教徒だからといって仲睦まじい結婚生活を送れる保証はありません。


二人の人生に関するあらゆる問題を、結婚前に話し合ったり明らかにしたりする必要があります。二人の文化、宗教、信条が異なっている場合は、特にそうすべきです。

743 結婚生活における性行為には、どのような意義がありますか。


お互いの同意と真の愛情がしっかりあれば、性行為も結婚生活における重要な絆となり、夫婦の福利に貢献します。結婚生活における性行為においては、尊敬し合い、感受性を豊かにし合い、理解し合うべきです。

744 家族計画について、新使徒教会はどのような立場をとりますか。


家族計画については、夫婦の裁量に任されています。しかし、基本的に受精卵の中絶につながる避妊法は、教会として認めていません。人工授精は認めますが、いかなる形であれ人間の選択で絶命を決定することは認めていません。

745 勤労の義務や社会における義務を果たすことについて、新使徒教会はどのような立場ですか。


勤労の義務や社会における義務の遂行については、十戒が指針を示しています。


社会の利益に貢献することは、キリスト教徒の義務です。一人ひとりにその責任があります。

「すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、…。」ロマ13:7

746 新使徒教会は、社会に果たす責任をどのように考えていますか。


新使徒教会は、有している能力と権限の範囲内で、公益の促進に寄与します。世界平和を呼びかけ、和解を訴え、赦しを勧めます。どのような形であれ、暴力は認めません。

747 新使徒教会は、一般生活との関わりを持ちますか。


はい。新使徒教会員は積極的に一般生活と関わります。教会員の政治的立場や活動に、新使徒教会が影響を与えることはありません。


新使徒教会は教会員に、社会的立場、言語、その他自分と異なるあらゆる物事に関係なく、すべての人に、尊敬と寛容をもって接するよう求めます。

748 新使徒教会は、国家に対してどのような立場をとりますか。


新使徒教会が重視するのは、政府や公権力と、開かれた建設的関係を築くことです。政治的には中立です。新使徒教会は、それぞれの国が定める法律に適合した活動を行います。このことは、ローマの信徒への手紙13章1節に書かれている通りです。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」これは、公権力であっても神の戒めと一致していることが前提です。


新使徒教会は、所属する国などの法律や条例が定める法的義務を遵守します。逆に、国などに対しては、新使徒教会の立場を尊重し、理解することを望みます。

 

公権力に対する立場: 新使徒信条第十条を参照

749 他教会、他教派、他宗教と、新使徒教会はどのような関係にありますか。


新使徒教会とその会員は、新使徒教会以外の人々による宗教活動を尊重し、異なる信条、宗教、教派の活動を軽蔑する行為は自重します。相互の尊重を基本とした、良好で平和な関係の構築に努めます。新使徒教会は、どのような形であれ、狂信的な行為を認めません。


教義上の立場の違いに関係なく、他教派のキリスト教会との交流を通じて、キリスト教としての共通点を強調します。

750 新使徒教会は、社会とどのように関わりますか。


新使徒教会は、福音と強く結びついています。ですから、個人差に関わらずすべての人の利益に資する慈善活動に従事する義務があると考えます。この活動は、多くの会衆の人たちによるボランティアや、物資の支援に支えられています。


新使徒教会は、可能な範囲で、世界で展開される、非営利の慈善活動計画や慈善団体、救援を呼びかける運動を支援します。救援組織と共同作業も行っています。