30. 9月 2022

信仰、教理、説教 ― すべてが聖書に基づいているのですから、教役者も教会員も聖書に親しむことが大切です。しかし、聖書は他の本と同じように読むことはできません。聖書の読み方を、主使徒が礼拝を通して説明しております。

慰め、強め、祝福:奇跡を期待する人がいます。しかし神様の働きは、奇跡によるものではありません。神様は人間に語りかけ、人間がご自身の言葉に耳を傾けることを望んでおられます。ですから、私たちの教会で、説教はとても重要なのです。

祭壇で語られるすべてが、神様の御言葉というわけではありません。説教は不完全な人間によって行われるため、完全なものではありません。しかし、その不完全さにもかかわらず、聖霊は私たちに必要な力を与えてくださいます。

聖書の知識が必要です。聖書は私たちの信仰の基礎だからです。ですから、教役者は聖書を知るべきです。信徒もまた、聖書を知るべきです。そうでなければ、説教の意味を理解することは困難です。何よりも、聖書を読むことで、神様からの慰めと知恵が与えられます。

 

他の本と同じようには読めない

聖書を他の本を読むように読むことはできません…。なぜなら、聖霊の鼓舞によって書かれたものは、聖霊に鼓舞していただきながら読まなければならないからです。そうでなければ、正しく理解できません。

今回の礼拝のために引用した基調聖句は、まさにその問題を突いています。「あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ」(ヨハ5:39)。

律法学者は聖書を、規則や律法の全集と捉えていました。しかし、イエス様は「それでは聖書を本当に理解することにはならない」と言われました。もし皆さんが聖霊に鼓舞していただいているなら、聖書にあるすべての書物がイエス・キリストについての証しであるということが分かるはずです。

 

天と地の間に

聖書が書かれたのはイエス様の時代です。すべてが現代に当てはまるのでしょうか。聖書について誤解してはいけません。

聖書は科学に取って代わるものではありません。聖書の言葉には、書かれた時代の知識が反映されているからです。例えば、著者は太陽が地球の周りを回っていると考え(ヨシュ 10: 12)、地球が平らだと考えていたのです(黙7: 1)。

聖書が皆さんに代わって判断することはできません。神様は私たちに代わって判断しようとは考えておられません。私たちが決断するために考慮しなければならないことを、聖霊が教えてくださいます。しかし、決めるのは私たち自身です。

「聖書は天と地を解明するものでなく、天国に入るために、地上でどのように生きるかを教えるものである」という古い格言があります。

 

矛盾を正しく理解する

聖書の一節だけを根拠に判断するのは意味がありません。多くの点で、聖書には、ある事柄とその正反対の事柄が書かれているのです。聖書には矛盾がいくつもあります。その例を一部紹介します。

神様はイスラエルの民に戦うことを望まれることもあれば、望まれなかったこともあります。イエス様は弟子たちにユダヤ人のところだけに行くのを望まれたこともあれば、異邦人のところにも行くのを望まれたこともあります。聖書を開いて、これらの文章のうちの一つだけがたまたま見つかったことを想像してください。

コリントの信徒への手紙一7章26~33節でパウロは、主に喜んでいただくために、結婚しないことを勧めています。しかし、テモテへの手紙一4章1~3節では、結婚を禁じる人々を偽教師と表現しています。では、パウロは偽教師だったのでしょうか。

テモテへの手紙一2章には、「神様はすべての人が救われることを望んでおられる」と書かれています。その数節後に「子供のいない女性は救われない」と書かれています。つまり「神はすべての人の救いを望んでおられるが、子供を産まない女性だけは例外だ」ということです。

ここまでは私たち人間の理解ですが、これは大きな問題を提起しています。しかし「物事を理解するために聖霊を用いなさい。そして、あなたがたを救うために、使徒を遣わした」と神様は言っておられます。使徒には聖書を解釈する使命と権限があります。

 

伝えていることを適正に吟味する

旧約聖書を、聖霊に照らして読むことで、何が学べることができるでしょうか。私たちに対する神様の愛には条件がありません。神様は忠実であり、すべての約束を守ってくださいます。神様は、ご自身を信頼することを私たちに期待しておられます。神様ご自身と隣人を愛することを期待しておられます。私たちが選ばれたのは、私たちの功績ではなく、恵みに基づいています。選ばれたということは、主にお仕えするための召命なのです。

新約聖書は、イエス・キリストが地上においでになった神の御子であることを伝えています。救いとは、永遠の命と、キリストとご自身の民との永遠の交わりを意味します。イエス・キリストを信じれば、人類は皆、救われるのです。キリストの再臨に備えようと思うなら、水と御霊によってもう一度生まれ、聖餐に与り、使徒職の教えに従わなければなりません。

聖書は本当に、強め、慰め、知恵の素晴らしい源です。私たちは聖書を知る必要があります。読まなければなりません。しかし、私たちは聖霊に鼓舞していただくことも必要です。使徒職は、私たちが聖書を正しく理解できるように、イエス様によって遣わされました。そして、私たちが聖書を正しく理解するならば、救いを得るために必要なすべてを、聖書の中に見出すことができるのです。

Andreas Rother