17. 1月 2023

聖書は、男女の関係と両者の責任について、かなり多くのことを語っています。新使徒教会は、ここからどのような教義的結論を導き出すのでしょうか。教理要綱や教義に関する諸文書から、関連する箇所を紹介します。

「人間が神のかたちに造られたという事実が、『女性の教役職叙任は正しい』と解する鍵である。」 このことは、『礼拝指針』2022年特別第3号で明らかにされています。それにしても、人間が神のかたちに造られたとは、具体的にどういうことなのでしょうか。

神のかたちに造られた人類
神のかたちに造られたことで、人類と神との根本的な関係が表現され、神と人類との関係も表現されます。ただし、これは神との平等を意味するものでは、決してありません。人間が神のかたちであるというのは、神と人間との間にある質的に無限の差異をを平準化しようとしているわけでは決してありません。

重要な点は次の通りです。「人間が神のかたちであることを理解するためには、神がご自身を啓示され、お語りになることを認識しなければならない。神の自己啓示は、人間、人間が被造物である事実、人間の性質、この世における人間の使命を正しく理解するための前提条件である。」

教理要綱にはこう書いてあります。「神はこの特別な被造物に、生命力をお与えになった。さらに愛、個性、自由、理性、不滅性を、御自身と同じようにお与えになった。」従って以下の事柄が明らかとなります。「神に似せて人が造られたということは、見える被造物の中で例外的な地位を与えられたということである。つまり人は神に愛され、神から語りかけていただくことのできる存在である。」

人間の尊厳
さらに教理要綱にはこう書いてあります。「人が他の被造物と異なる点は、身体としての性質だけでなく、霊的な性質も備わっていることである。<…>人に身体的性質と霊的性質の両方を下さったのは神なのであるから、当然その両方に相応の品位を与えられているはずである。」

そして、「礼拝指針」2021年特別第2号はこう付け加えています。「それ以上に、人間が神のかたちに創造されたという概念は、人間の尊厳、すなわち性別に関係なくすべての人間が同等であり平等であることを聖書が支持する、重要な根拠とみなすことができる。」

平等
「礼拝指針」2022年特別第3号には次のように書かれています。「男も女も、神のかたちに等しく造られているため、両者とも神ご自身と直接関係している。<…>人間が神のかたちに造られたという事実は、男女の持つ本質的存在の基礎である。」

以下の点を指摘しておかねばなりません。「男女に差違があることを教理要綱では述べているものの、それは生物学上のもの、性別としてのものであって、人間そのものに影響を及ぼす不平等性を何ら述べているわけではない。」以上を勘案すると、確実に以下のことが言えます。「男性と女性は、生物学上の差違はあっても、平等に尊厳のある伴侶同士である。」

共に責任を
男性も女性も、「地上の支配、すなわち地上の形成と保護」という使命を同一に与えられています。最新の教義文書にはこう書いてあります。「男性と女性の支配権は本質的に何ら異なるものではない。従って、男女別に割り当てられた領域があるわけではない。」

つまり、こういうことです。「神のかたちに造られた地上の被造物全体が持つ可能性は、男女双方に委ねられている。従って、地上を支配するという神の命令を一個人が果たすことは不可能である。これは、共同と連帯によってでしか達成できないのである。」

教理上の結論
神学上の結論は以下の通りです。「新使徒教会の教えによれば、女性と男性は共に神のかたちに創造されたため、同一の性質と尊厳を有する。女性も男性も被造物の保護と形成という使命を受けている。」

「地上の被造物の保護と形成という使命は、当然その責任が男女平等にある。」ですから「この悟りに基づいて、教役<職務>と奉仕を、教会全体として、そして各地域の会衆において、男女平等に委託することが可能なのである。」

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旧約聖書からの結論は以上です。新約聖書の記述を見ても、明確な姿は浮かび上がりません。この点は、このシリーズの次回以降で見ていくことにしましょう。

原著: Andreas Rother
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