31. 1月 2023

二月に行われる日曜礼拝の主要テーマは、「キリストとの命の交わり」です。これは、私たちの人生のうちのわずかな余地をイエス様とその福音に費やすために残しておく、というだけではありません。キリストとの交わりは、私たちの人生全体 ― こんにちも将来も ― を満たすものなのです。

二月の日曜礼拝では、「キリストとの命の交わり」をクローズアップしています。この交わりがどのように生まれ、どのような効果をもたらすのか、説教で見ていきます。

不可能な夢がどう実現しうるのか
神様と永遠の交わりを持つことは、単なる夢ではありません。実現可能なのです。イエス様はニコデモにこのことを説明されました。「よくよく言っておく。誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハ3:5)。新使徒教会は、水と御霊によるバプテスマが再生、つまりキリストにある私たちの新しい命という積み木を構成するものであると理解しています。この二つのサクラメント、つまり洗礼と御霊の証印を信仰によって受け止める人は、誰でも再び生まれ、完全に新しい人となり、永遠の命に与ることができるのです。これはすでにこんにちから始まっています。聖餐において、キリスト者はキリストの姿に成長できるのです。

キリストとの交わりがもたらす効果
「強盗が人を襲い、殴り倒し、瀕死状態のまま放置して行った。何人かの人はその瀕死の人を助けずに行ってしまった。最後に、ユダヤ人社会からあまり尊敬されていない人が通りかかった。彼は立ち止まって怪我人を助けた。」― これは、ある律法学者が「私の隣人とは誰ですか」とイエス様に尋ねた後に、イエス様が話されたたとえ話です。第二日曜日の礼拝は、隣人が必要としていることが何なのかに敏感になろう、というテーマです。同胞の不幸に無関心でない姿勢を示すことは、キリストとの交わりがもたらす効果の一つです。隣人とは誰だろうと考えるのではなく、誰にとって自分が隣人になれるかを考えましょう。そして、イエス様がなさったように、他の人々に手を差し伸べ、憐れむことができるように、他の人々が何を必要としているかを分からせてくださるよう、イエス様にお願いしましょう。

我々が死を恐れる必要のない理由
人は、自分が死ぬ運命にあることを知っています。しかし、多くの人は、死について考えることを避けています。死の恐怖は、キリスト者にも影響を与えるものです。しかし、二月の第三日曜日の説教では、死に直面しても持ちこたえることのできる新使徒教会員の希望、すなわち、復活の体、新しい存在を身にまとう希望について考えます。この体こそが、神様との交わりを持つ条件なのです。コリントの信徒への手紙二5章1~2節で、パウロは、こんにちのうちから神様との交わりを求めるように促しています。礼拝を通して貴重な鼓舞が得られるでしょう。

ほかにもご計画が
二月最後の日曜日は、三月初めに行われる故人のための礼拝のために、信徒を準備させるためのものです。説教は、生きている人も死んだ人も救いを受けることができ、キリストとの交わりを持つべきであるという事実を検証する内容です。この礼拝の基礎となるのは、使徒言行録16章から引用され、アジアで良い知らせを伝えようとしたパウロの計画について言及されています。しかし、神様が彼の計画を阻止なさったことによって、ヨーロッパにキリスト教の信仰がもたらされました。私たちもパウロと同じように、時に計画が妨げられるのを経験します。その時、私たちは聖霊の導きに頼る必要があります。そして、聖霊に導かれる人は、自分が救われることを願うだけでなく、生きている人も死んでいる人も、すべての人がキリストによって救われることを願うのです。礼拝は、すべての人の救いのために祈るよう私たちに訴えます。自分の心配事や困難があっても、死者のために祈ることを止めてはならないのです。

原著: Katrin Löwen
https://nac.today/en/158033/1133697→ 

nac.today:New Apostolic Church International

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