2023年2月1日 19:48:00 JST

洗礼者ヨハネが伝えたことはは、決して古いものではありません。それどころか、極めて現代的なものです。ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は礼拝の中で、洗礼者ヨハネの説教を検証し、彼が伝えようとしたことをを現代に蘇らせました。今回はそれを紹介します。

「洗礼者ヨハネが伝えたことを、現代に適応させる必要はない。」これは、昨年12月1日に南アフリカのブルームフォンテーンで行われた礼拝の終わりに、主使徒が出した結論です。主使徒は、ヨハネによる福音書1章6~7節に基づいて説教を行いました。「一人の人が現れた。神から遣わされた者で、名をヨハネと言った。この人は証しのために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じる者となるためである。」〔以下、説教の概要〕

旧約における預言者たちの慣習の中で
洗礼者ヨハネが遣わされたのは、メシアである神の御子がこの世においでになる道を備えるためでした。ヨハネは旧約の預言者として初期の預言者たちと類似したことを宣べ伝えました。それは以下のような事柄です。

  • 「神様はすべての人間を裁き、御心に適わない者を拒み、御心に適う者を受け入れられる。」
  • 「帰って来て悔い改めなさい。神様の御許に戻り、御心を行いなさい。」
  • 「神様は約束しておられた贖い主である救い主をお遣わしになり、この救い主があなたがたを救い出してくださる。」

新約のために特別に伝えられたこと

洗礼者ヨハネは、人々に特別な事柄を伝えました。「救い主はすでにここにおられ、人々の中にいらっしゃる」と告げたのです。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊だ"とも言いました。ユダヤ人はこのたとえをよく理解していました。エジプトで長男への殺戮が行われた時、ヘブライ人家族が助かったのは、神様がの家の戸口の上の横木を、屠ったばかりの小羊の血で塗るようにとお命じになったからです。

そしてヨハネは、救い主であるイエス様について、もう一つ「…その人が、聖霊によって洗礼(バプテスマ)を授ける人である」と、特別なことを伝えました。これは「この方の命によって、あなたがたは新しい命を得る」という意味です。

旧約最後の預言者である洗礼者ヨハネは、新約を告げたのです。

  • 「イエス様は新しい光である。神様の律法をイエス様のように考え、理解しなければならない。」律法は、もはや彼らの先祖が見てきたようなものではなくなりました。
  • 「あの方は必ず栄え、私は衰える」(ヨハ3:30)。これは、イエス様の教えの方が預言者たちの教えより優先される、と言うことです。
  • 洗礼者ヨハネは、自分が旧約最後の預言者であることに、落胆しませんでした。物語の終わりと、神様とご自身の民との交わりを含む、新しい物語の始まりを告げられることは、彼にとって喜びでした。

こんにちにおいても有効
洗礼者ヨハネが伝えたことは、こんにちでも有効です。彼が伝えたことを現代の目線で置き換えてみましょう。一つ目は「神様がすべてを裁かれる」ということです。当時の人々と同様、今の人々も聞きたくないことです。それでも神様は御旨を行う者を受け入れ、行わない者を拒まれるのです。

洗礼者ヨハネが預言した二つ目は、「神様に受け入れられたい人は救い主を受け入れなければならない」ということでした。救い主とは、イエス・キリストのことです。イエス様が十字架上で死なれたのは、皆さんが地上で金持ちになったり、成功したりするためではありません。イエス様は、永遠の命、神様の御国での神様との交わりをもたらすためにおいでになったのです。これが救いであり、この救いはイエス・キリストによってのみ得られるのです。それ故、私たちはイエス・キリストを信じ、彼とキリストの教えに従わなければならないのです。
旧約が洗礼者ヨハネで終わり、新約が神様の民をもって始まったように、イエス様の教義がモーセの律法に取って代わりました。規定の中には、ユダヤ人にとって他の規定より重要なものがありました。実際、こんにちのキリスト教世界において、重要性に違いがあるのでしょうか。隣人の犯した罪が、常に自分の罪より重くなっていませんか。それではいけないのです。モーセの律法をイエス・キリストに照らして見るようにしましょう。キリストを信じなければいけません。そしてイエス様が愛されたように、皆さんも愛さなければいけません。

洗礼者ヨハネは、救い主がすでに自分たちの中におられること、そしてすぐに行動しなければならないことを人々に明らかにしました。このことは、こんにちでも非常に重要です。聖霊は私たちに「目を覚ましなさい。主はもうすぐおいでになる」と教えておられます。

忘れないでください。洗礼者ヨハネは、神の御手にある完全な道具でした。彼は、その時代の人々にとって幸いな存在でした。そして、ヨハネが伝えたことはこんにちも有効ですから、ヨハネは今も私たちにとって幸いな存在です。しかし、彼はイエス様に従わなかったため、救われませんでした。同じように私たちも、他の人のために良い道具となり、祝福を与えることができます。しかし、だからと言って、私たちが主の再臨の時に受け入れられる、ということではありません。私たちは自分の行動や行いで救われるわけではないからです。

まとめとして、主使徒はこう述べました。「私たちが救われるのは、キリストの姿に変えられるから、すべてをキリストに照らして見るから、信じるから、信頼し愛するからです。洗礼者ヨハネの伝えたことに耳を傾けましょう。こんにちにも通じることです。

原著: Katrin Löwen
https://nac.today/en/158033/1139516→

nac.today:New Apostolic Church International

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