6. 2月 2023

聖書の中で、人々は神様の啓示を証言しています。これらの証言は、もちろん聖霊の鼓舞によるものですが、当時の人々の知見や文化の影響も受けています。そしてこのことは、こんにちの読者に対して特段の影響を及ぼしています。このことについて主使徒が論じています。

人間は自分の力で神様を悟ることができません。ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は、最近の教区使徒会議で参加者に注意を促しました。「私たちが神について知ることができるのは、神様が私たちに明らかになさることしか、私たちは神様について知ることができません」と、彼はこれまで通り霊的部分で説明しました。この神様の啓示は段階的に行われます。

  • まず神様は、創造主としてご自身を知らしめ、
  • 次に、イスラエルの歴史において、主(しゅ)としてご自身を知らしめ、
  • イエス・キリストの擬人化を通して、従来の啓示を超越し、
  • 聖霊を遣わされたことで、新しい知見を明らかお示しになり、
  • もう一度キリストがおいでになる時、完全な形でご自身をお示しになります。

では、聖書についてはどうでしょうか。聖書でも神様は進歩的な方法でご自身を啓示されます。

結果を伴う受け止めや捉え方
神様の啓示は、聖霊に鼓舞(こぶ)された人間によって、聖書の中で証しされています。しかし聖書の著者は、聖霊が啓示したことを伝えるために、自分たちの言語と知見を利用しました。

人間による受け止めや捉え方とその意味について、聖書の読者は聖霊に助けていただくことによってはじめて、人間が書いたこれらの文章の中にある御旨を理解できます。特に使徒は、聖霊の導きのもとで、聖書に含まれる御旨を認識し明らかにするために、信仰のために拘束力と権限とをもって聖書を解釈する使命を持っています。ですから、使徒は「神の秘義の管理者」なのです(一コリ4:1)。

罰か愛か
そこで主使徒は、新旧約二つの聖書がそれぞれ神様をどのように捉え、理解しているのかという問題を取り上げました。

  • 旧約聖書は、ユダヤ教信徒の著者たちによる著書の集合体です。彼らが神様を表現する方法は、当時の文化的、宗教的背景を反映しています。彼らはしばしば、神様に人間的な資質を与えています。例えば、神の名誉と尊厳が侵害されると、神は怒り、罰するのです。
  • 新約聖書は全く違います。イエス・キリストは神様が持つ本性を人類に明らかされました。罪人を罰するのではなく、むしろ救おうとする愛の神について語っておられます。人間に降りかかる不幸は、神から課せられた罰ではなく、単に悪しき者の支配の結果なのです。

では、旧約聖書は今も有効なのでしょうか。

新約聖書を照準とした旧約聖書の位置づけ
これに対して主使徒にははっきりとした答えがあります。「イエス・キリストは聖書―特にトーラー〔創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記〕、預言書、詩編―を、ご自身と人格と活動に関連させて解釈されました。」このことから、私たちは新約聖書を御子の観点から解釈しなければならないことになります。この点について教理要綱には次のように書かれています。「旧約聖書の各書巻 ― 続編も含め ― の中で示されている信仰や教義は、内容的に福音書が教えていることと一致することによって、その意味を持つ」(教理要綱1.2.5.2→)。

堕罪と洪水
一例目として、堕罪があります。「神は罪人を罰しない」とイエス・キリストははっきり宣言しておられます。従って、労苦、出産、支配による苦しみ(創3:14-19)は、神様が科した罰と理解することはできないのです。イエス様の教えに照らせば、また聖霊の導きのもとによれば、神様がアダムとエバに罪への転落の結果を告げたに過ぎないという見解に至るのです。この記述は「神様は罪を犯した後も人間を愛し続け、贖い主を遣わすと約束された」ということを伝えているのです。

二例目として、洪水です。全知全能の神様が、どうして人間の邪悪さを事後的にしか発見できなかったのでしょうか(創6:5)。もし、ノアによって、もともと罪深い人々が再び生き残ったのなら、どうやって洪水によって罪が取り除かれたでしょうか。聖霊は、大洪水の記述を罰ではなく、救済という観点で捉えるように導いておられます。神様は、ご自身への従順によって救済される機会を、ノアにお与えになったからです。主使徒はペトロの手紙一3章18~22節を引用しています。そこでは、「水によって救われた魂」について語られています。水は、こんにち私たちを救う「対型」でもあります。つまり洗礼です。

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ここまでのまとめ:旧約聖書では、救いは従順を条件としており、それは律法の厳格な遵守と理解されていました。一方、イエス・キリストは、真の従順とは何かを明らかにされました。神様は私たちがイエス・キリストを信じ、ご自身と隣人を愛することを望んでおられます。新約聖書はどのように読むべきなのでしょうか。これについては、明日掲載予定の第二回目の記事のテーマとします。

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1141783→

nac.today:New Apostolic Church International

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