7. 2月 2023

神様は、創造主なる神から、イエスと言う人間を経て、聖霊による働きに至るまで、段階的にご自身を明らかにされます。このことは、聖書の正しい理解にも当てはまります。今回は、主使徒による論述の二回目です。

ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は、過日行われた教区使徒会議の、霊に関する議論の中で、「旧約聖書を理解するためには、新約聖書に照らして読まなければならない」と説きました。私たちの信仰と教義に対する旧約聖書の記述の重要性と意義は、その内容が福音の教えるところと一致するかどうかによって決まるのです。

旧約聖書と同様に、新約聖書もまた、人間によって書かれたものです。聖霊によって鼓舞された聖書の著者たちは、自分たちの言語と知識を用いてイエス様の生涯を説明し、聖霊の啓示を記録しました。また、読者が理解できるように、読者の文化も考慮しました。

表現は変わるが、内容は変わらない
つまり、「新約聖書の記述において、福音のメッセージは常に同じであるが、その伝え方はそれぞれの書き手と受け取り手によって異なる」ということです。

これは特に、イエス・キリストの死についての叙述法に当てはまります。旧約聖書の犠牲祭(罪を贖う儀式)が引用されたり、戦争の慣習(捕虜の身代金)が引用されたり、あるいは律法(借金返済義務)が引用されたりしました。

これらの記述を文字通りに解釈すると、旧約聖書のように、神は罰する存在ということになります。これは新約聖書に矛盾します。イエス・キリスト自身は、罪人を罰するのではなく、むしろ救おうとなさる神様の愛を語っておられるのです。

懲罰的措置ではなく、愛の働き
「幸いなことに、聖霊は、イエス・キリストの死について、必ずしも懲罰の概念を強調することなく語れるようにしてくださいます」と主使徒は指摘しました。

  • イエス・キリストによる犠牲は、愛の働きに他なりません。
  • 人間が苦しむのは、神様から離れてしまった結果です。
  • 神様は、愛において、すべての人がご自身と交わりを持てることを望んでおられます。
  • イエス様は、人間として、誘惑に打ち勝ち、神様を信頼し、その愛にとどまられました。

イエス・キリストは、その愛において、ご自身の勝利と徳を、信じて従う者たちに分け与えてくださいます。つまり、イエス・キリストを信じて従う者たちも、勝利と徳に与(あずか)れるのです。

この世の終わりではなく、救い
聖書最後の書巻も、誤解されやすい書物です。表面的に読むと、ヨハネの黙示録はこの世の終わり、神の怒り、不信心な者への懲罰について述べています。しかし、「この書物が何よりも悪に対するキリストの勝利と人類に対するキリストの無条件の愛を語っていることを、聖霊は理解させてくださる」と、主使徒は述べています。

イエス・キリストはご自身で再臨を宣言されました。使徒パウロに、ご自分の再臨にまつわる出来事を明らかにされました(一テサ4:15-17、一コリ15:51-52)。そして、ヨハネの黙示録は、救いのご計画における将来の経過についてイエス様が啓示なさっていることを拾い上げ、明らかにしたものです。

続けて主使徒は、「使徒の使命は、主の再臨に向けて信徒を準備することである」と述べました。そして、使徒の備えを受けた人たちは、初穂として主の御国に入ることができます。「しかし、残りの人たちはどうなるのでしょうか」とシュナイダー主使徒は問いかけました。「神様の愛は、すべての人間が神様の御国に向かうことを望んでおられます。そのために、イエス・キリストは地上に平和の王国を築かれるのです。すべての人が、イエス・キリストを受け入れるか拒むかを自由に決めることができて、はじめて神様は救いのご計画を完成されるのです。

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1141793→

nac.today:New Apostolic Church International

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