2023年2月8日 19:48:00 JST

教役者は、福音を伝えるために、山々を越えなければならないことがあります。しかし、それは教役者に限ったことでなく、すべて一人ひとりの信徒に、越えなければならない山があります。フランスで行われた、ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒による礼拝説教です。

イスラエルの民は、故郷の地から遠く離れたバビロンに流されています。聖地エルサレムは廃墟と化しています。人々は悲しんでいます。そこにイザヤが現れ、こう告げます。「なんと美しいことか/山々の上で良い知らせを伝える者の足は。/平和を告げ、幸いな良い知らせを伝え/救いを告げ/シオンに『あなたの神は王となった』/と言う者の足は。」このイザヤ書52章7節の言葉は、2022年12月18日、フランスのアンネヴィルで行われた礼拝の基調聖句となりました。〔以下、説教の概要〕

福音を広める
今回の聖句は、使徒パウロが福音を宣べ伝えるのにを引用したものです(ロマ10:15)。人々は当時から、いわば異郷の生活をしていました。それは罪を犯したことによって、神様から距離を置いてしまっていたからです。しかしパウロは彼らに良い知らせを告げました。つまり「神様は人類を愛し、異郷状態からその人類を救い出すために、ご自分の御子をこの世に遣わしてくださった。イエス・キリストがおいでになり、悪に勝利された」と言うことです。

この知らせは今も有効です。不公平、不和、その他様々な問題があるのは、人々が未だに神様と距離を置いて生きているためです。この聖句の言葉は、こんにちに至るまで希望を与え続けているのです。聖霊は当時異郷に暮らしていたイスラエルの民に「恐れてはならない。ミラは暗くない。未来は明るい」とお告げになりました。そして今も同じことを、こんにちの私たちにもお告げになっておられます。最終的に勝利を収めるのは、常にイエス様なのです。

今回の聖句は、現代から見ると、違和感があります。良い知らせを伝える者の足が美しいというのは、まさにその典型です。現代風に表現するなら「山越えをして良い知らせを伝えるとは、何と素晴らしい」ということになるでしょう。

教役者が越える山々
神様はこんにち良い知らせを伝えるために、教役者を遣わしておられます。教役者は神様から召された使命に応えて、福音を宣べ伝えます。義務感からではありません。率直に言って、ほかにすることがなく、そうすることが人生の夢になっているからです。良い知らせを強く信じているから、神様を愛しているから、教会を愛しているからです。教役者には、いつも越えなければならない山々があります。それは、

  • 「強制」という山です。仕事もあるでしょうし、個人的に悩んでいることもあるでしょう。しかし、それは一般の信徒も同じです。
  • 「困難な状況」という山です。結果は一見して分からないものです。やる気を出すのは山登りのようなもので、感謝よりも批判されることもあります。
  • 「自分自身の弱さ」という山です。永遠の神様にお仕えするためには、自らの不完全、自分の都合や考えという「山」を越えなければなりません。

教役者が犠牲となってくれていることに、私たちは感謝すべきです。どうすれば感謝できるでしょうか。

  • 人格ばかりに目を向けないようにしましょう。完全な人など、いないのです。
  • 救いや贖いについて伝えていること、平和、未来それらそのものに集中しましょう。それらをめぐる一つ一つのことすべてに集中するのではありません。教会で行われる多くのことは、歓迎されるべきものですが、何が大切なのかを忘れないようにしましょう。
  • 教役者のために執り成し、彼らの務めを支援しましょう。

そしてこのことは、教会からの公式の嘱託を受けることなく、自発的に務めを引き受けておられる、たくさんの兄弟姉妹の皆さんについても当てはまります。

一人ひとりにとっての山々とその山を越える方法
神様はキリスト者一人ひとりを、福音伝道者として召しておられます。会衆には、福音を宣教するために「山越え」をしている伝道者がたくさんおられます。そのお一人お一人がなんと美しいことでしょうか。

「山」とは何でしょうか。そしてその山を、どうすれば越えられるのでしょうか。

  • 理解されず、拒絶され、あざ笑われながらも、福音を告げ知らせる ― こうした伝道者が不信心という山を越えるのは、素晴らしいことです。
  • 問題があっても、信じる ― 苦難や困難に遭遇しても、神様を愛して信頼し続ける伝道者の姿は、なんと美しいことでしょうか。
  • 隣人の罪を赦す ― 福音、イエス様の愛を心から信じる人は、この罪という山、恨みという山を越えて、隣人に赦しを伝えることができるのです。
  • 個人的問題という山々があっても、助ける ― 多くの兄弟姉妹は、困難な状況にある中でも、時間を見つけて隣人に奉仕してくれています。
  • 違いがあっても結束する ― 私たちを分断しようとする山々を越えられる伝道者は、なんと美しいことでしょうか。私たちを結束させようとするものに集中しましょう。

問題点が浮き彫りにされ、やや地味な雰囲気で始まった礼拝は、希望に満ちた形で閉会じました。伝道者は神様の福音、良い知らせを宣べ伝えるために神様によって遣わされたのです。彼らは給料や報酬を求めるわけでもなく、靴を磨いてもらうわけでもないのです。私たちは、どんな山々に囲まれていても、世界に発信する伝道者なのです。私〔=主使徒〕は、どんな苦悩や困難があっても、イエス・キリストを信じます。神様が私を愛し、私を助けてくださると信じています。

原著: Katrin Löwen
https://nac.today/en/158033/1139526→

nac.today: New Apostolic Church International

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