27. 2月 2023

イエス・キリストは良い羊飼いです。ご自身の羊たちを知り養い、守り、そして最終的には、その羊たちのためにご自分の命を献げられたのです。三月の礼拝は、始まったばかりの四旬節を経て、少し違った方向を進みます。

「私には、この囲いに入っていないほかの羊がいる。」ヨハネによる福音書10章16節のこの言葉は、三月の始まりを告げるものです。羊飼いはイエス・キリストであり、羊の群れはキリストの教会を表しています。イエス・キリストは、出身や身分に関係なくすべての人間に「私に従いなさい」と、呼びかけておられます。また、生者と死者の区別もなさいません。

ですから、「群れ」という言葉は、人々がこの世とあの世で置かれている様々な霊的な領域、つまり、神様に近いか遠いかを表すものとして理解することができるのです。三月の第一日曜日に行われる「故人のための礼拝」では、この「群れ」の一員となるために何が必要かというのが主題となります。

疑問にさいなまれる

失望は私たちの信仰を弱めたり傷つけたりします。「どうしてイエス様はまだおいでにならないのか。」「信仰があっても自分の状況が良くならないのはどうしてなのか。」どうしてうちの主任牧司はこんなにうるさいのか。」こうした疑問は今に始まったことではなく、すでに初期キリスト者の会衆からあったことなのです。

初期ユダヤ人キリスト教徒の集団に宛てて書かれたヘブライ人への手紙は、こうした疑問に対して全力で反論しています。4章14~15節には大祭司について書かれています。この大祭司は人々と共に苦しみ、人々のことを理解してくださいます。ご自身も苦しみを受けられたからです。イエス・キリストは救いを求めて声を上げて泣いて懇願されました。イエス様は人々が必要としていることをご存じです。三月第二日曜日はこのような日です。

悪に対処するために伝えること

一週間後の礼拝では、イエス・キリストが悪に対して持っておられる力について考えます。実際、悪とはどのようなものなのでしょうか。多くの人は、災難から免れることを当然だと思っています。悪についての話題になると、多くの人は、人を教会に引き込むために暗い話をしているのだと考えます。しかし、悪に直面して目覚めることの方が、より困難なのです。

現実的な人は、ガラテヤの信徒への手紙1章3~4節で述べている「今の悪の世」の意味が分かります。人々は神様から引き離される危険にあり、自分の力では悪の力に打ち勝つことができません。しかし、自分の力で悪の力に打ち勝つことができる方がおられるのです。この貴重なことを伝えていく必要があります。

食卓に来なさい!

「主は私の羊飼い。」詩編23編は聖書の中でも最も有名な一節です。そして同編5節には「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け」(口語訳)とあります。キリスト者にとってイエス様は聖書の中心ですから、この詩編23編は聖餐のことを指しているとも理解できます。

それにしても、敵とは誰なのでしょうか。「…の前で」とはどういう意味でしょうか。そして、この食事に招かれるのは誰なのでしょうか。三月の第四日曜日は、その答えを示し、イエス・キリストがどのように聖餐を制定し、それがこんにちイエス様に従う者たちにとって何を意味するのかを思い起こします。

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1141655→

nac.today:New Apostolic Church International

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