2. 3月 2023

弟子、伝令、使者。女性の役割について、イエス・キリストは当時のはるか先を行っていました。このことは、初期キリスト教会でも明らかでした。今回は、後になって―男性であっても―教役職となった指導的職能の例を、七つ紹介します。

パウロ自身が重要な証言者でした。というのは、彼は四十人以上の人々をスネルゴスと呼び、彼の共働者としているのです。最も有名な人物は、テトスとテモテです。スネルゴスのうち約四分の一は、例えば、エボディア、シンティケ、プリスカなど、女性の名前です。

執事、支援者、預言者―使徒パウロがそう称しているこれらの職能には、男性も女性も就いていました。「私たちは、〔…〕あなたがたの喜びのために協力する者―底本「スネルゴス」―です」(二コリ1:24)。

執事であり支援者

その筆頭がローマの信徒への手紙16章に登場するフェベです。パウロは手紙の中でフェベを紹介し、ローマの信徒たちに彼女を称賛しています。彼女がローマの信徒にパウロの手紙を届けたのは明らかです。また、質問に答える最初の人物として、彼女は使徒の考え方に精通していたはずであり、テトスやテモテと同格の存在でした。そして、パウロは彼女をディアコノス、すなわち、ケンクレアイの教会の執事と呼んでいます。さらにはプロスタティス、すなわち、多くの人の助け手、支援者と呼んでいます。

教師であり指導者

プリスカの名は、コリントの信徒への手紙一16章、ローマの信徒への手紙16章、テモテへの手紙二4章、使徒言行録18章に登場します。どこもアキラという男性の名と併記されていますが、原文ではほぼすべてプリスカが最初に記述されています。こういう書き方は当時としては異例で、コリント教会の発展、アポロへの霊的指導、ローマの教会における指導統轄面での役割にとって、彼女が非常に重要な存在であったことが分かります。

家長であり信徒の指導者

使徒言行録16章には、リディアという女性が極めて詳細に紹介されています。リディアはティアティラ市出身、フィリピ在住で、紫布を扱う商人でした。彼女はパウロに会い、自らが家(オイコス)の人たちと一緒に洗礼を受けました。つまりリディアは家長であったということです。そしてこれにより彼女は、一般的な異邦人キリスト者の集まり、すなわち家の教会の指導者となるのです。

使徒たちの間で評判が良い

ローマの信徒への手紙16章7節には、ユニアという名が登場します。ユニアは長い間男性の名とされていました。しかし、ほとんどの古代教父や現代の学者にとって、女性とされています。パウロは彼女を、男性のアンドロニコスと共に「この二人は使徒たちの間で評判が良く〔…〕」と紹介しています。この二人自身が広い意味での教会における使徒であったのか、それとも単にその周囲で高く評価されていたのかについては、議論の余地があります。しかし、初期の教会教父であるヨハネ・クリゾストモは、こう見解を述べています。「使徒という称号にふさわしいと思われるほど、この女性の知恵は偉大であったに違いない。」

会衆で紹介される

コリントの信徒への手紙一1章11節に登場するクロエは、事実上その名が挙げられているのみです。パウロは、コリントの教会で争いがあったことに触れています。彼は、クロエという著名な女性の家で集う信徒たち(「クロエの家の者たち」)から報告を受けました。パウロは彼女のことをとても大切に思っているため、問題を聞いて行動に移しました。そして、パウロが彼女を紹介できるほど、クロエは教会で有名で尊敬されていたのです。

唯一名前が挙がっている女性の弟子

使徒言行録9章36節以降には、タビタという名があります。このタビタという女性を、ペトロは死から蘇らせています。彼女は新約聖書の中で唯一、マテトリア(女弟子)としてはっきりと名前が挙がっている女性です。「〔彼女は〕数々の善い行いや施しをしていた人であった」と書かれています。ヤッファの教会における彼女の地位がいかに重要であったかは、彼女が病に倒れ、亡くなった時に分かります。すぐに近くのリダへ使いが送られ、ペトロがすぐに来るようにとの呼び出しを受けています。

四人の預言者

使徒言行録21章9節には、フィリポの娘たちのことが書かれていますが、重要なのは、彼女たちが「預言をする」と書かれていることです。これは、未来を予言するということではありません。預言するとは、神様の御旨を宣べ伝え、その御名によってそれを行うということです。コリントの信徒への手紙一14章によると、パウロは預言を、人々を励まし、慰め、教会を造り上げる、特に望ましい霊的賜物である、としています。パウロにとって、預言というこの霊的職能は、典礼の秩序がコリントの信徒への手紙一11章で典礼そのものを具体的に規定するほど重要なのです。

初期キリスト教会における女性の重要性は、聖書以外の史料によっても示されています。例えば、若き日のプリニウスは、トラヤヌス帝に、小アジアの総督として、この新しい宗教の現象の真相に迫ったことを、次のように記録しています。「そこで私は、執事と呼ばれる二人の女奴隷を拷問して、真相を探る必要があると判断した。」

*****

時が経ち、教役職の考え方が進展するにつれ、女性は次第に裏方に追いやられていきました。聖書もそのことを証言しています。このことは、このシリーズの次回のこのシリーズで考察します。

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1139815→

nac.today: New Apostolic Church International

←ホーム