2023年3月7日 0:00:00 JST

彼女はおそらくキリスト教において最も影響力のある女性だったかもしれません。マリアムという本名のこの女性はユダヤ人で、1世紀初頭のパレスチナに住んでいました。彼女はどこから来たのか。どこへ行ったのか。何を目撃したのか。それが何世紀もの間もたらしたものは何なのか。― 彼女自身の描写と思われるものを紹介します。

 

彼女の住んでいる場所は明らかでした。故郷はギリシアのタリケイアと呼ばれていた場所でした。ギリシア語でこの名前は「魚の塩漬け」という意味で、この地で人々が行っていたことや成功したこと、つまり魚を乾燥塩で硬化させて保存することを表現しています。ガリラヤ湖は魚がたくさんいました。タリケイアの町は栄え、成長していました。

彼女は未婚でした。マグダラのマリアと同世代の女性は男性、つまり家父長か配偶者を通してしか名字を与えられないが実情でした。彼女は「男がたくさんいる」「愛人との間に子供がいる」と非難されました。こうした妄想には特定の理由がありました。

彼女は無名でした。四人の福音書執筆者のうち三人は、私の過去についてまったく何も知りませんでした。ただ、ルカという名の歴史家だけが、マグダラのマリアについて何かを掘り起こしたようです。彼は、彼女が七つの悪霊に取り付かれていたと書いています。本人にとっては大げさな話ですが、病気だったことは確かです。しかし、救い主が癒やされたおかげで、彼女の人生は大きく変わりました。

彼女は第一人者でした。イエス様の使命を遂行するために、自分たちのやり方でイエス様に同行し援助した女性たちがいましたが、その際にいつも、マグダラのマリアが彼女たちを先導していました。福音宣教者たちの誰もが、彼女たちには適いませんでした。キリストが十字架にかけられ、死んでいくのをマグダラのマリアは見ていました。キリストが埋葬された時も現場にいました。そして、墓がからになっているのを発見したのもマグダラのマリアだったのです。

マグダラのマリアは、イエス様が復活なさったことを他の人たちに伝えるようにと指示されました。復活なさったイエス様を最初に見たのは、彼女です。そして、イエス様は彼女に語りかけ、ご自分の復活という良い知らせを他の人々に伝えるようにと、マグダラのマリアを遣わされました。しかし、ルカによる福音書では、そのような伝え方はしておらず、シモン・ペトロが最初に見たということにしているのです。

マグダラのマリアは女弟子として気に入られていました。トマスによる福音書、マリアによる福音書、フィリポによる福音書など、聖書とされなかった後世の書物は、少なくともマグダラのマリアをそのように描写しています。こうした書物には、マグダラのマリアとペトロが対立していたとしている箇所が散見されます。それは少し誇張です。こうした箇所は、男性の中には強い女性たちと問題を起こす人が紀元2世紀にいたことを明確に記録しているのです。

マグダラのマリアの評判はひどいものでした。グレゴリウス1世というローマ教皇は彼女を娼婦としました。半世紀後の説教で、彼は「彼女はイエスの足に油を注いだ罪人だ」と言いました。キリストの復活を最初に目撃したマグダラのマリアは、悔悛(かいしゅん)した罪人の原型とされるようになりました。修道会や修道院にはマグダラのマリアの名前が付けられ、瀕死の状況にある少女や女性のための施設にも彼女の名前が付けられました。

マグダラのマリアは道徳的に堕落した存在として描写されました。人々が彼女について語る物語は、妄想をかき立てるものでした。そして、それらはもちろん、絵画にする必要がありました。運が良ければ、画家たちによって高価な服や明るい色で表現されました。しかし、古今東西、最も厳格な画家たちでさえ、自分の妄想を自由にする口実を見つけ、素肌、セミヌード、全裸など、エロティックな方法で彼女を表現してきました。

マグダラのマリアは売り物にされました。メシアの恋人、子供の母親、陰謀家たちが保護する密族の祖先…そんな愉快な戯言(たわごと)は、「宝物」を含む不動産を売ろうとする神父の相続人と、つじつま合わせの古文書を偽造するオカルト主義者が作り出したものです。20世紀の男たちは、それを本にし、映画にすることで金を儲けました。

結論として申し上げたいのは、「マグダラのマリアは主を見た」ということです。そしてこれは、主の弟子たちが聞いたことです。なぜなら、彼女自身が主の大使だからです。

彼女は多くの人から「使徒の中の使徒」とされています。

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1148899→

nac.today:New Apostolic Church International

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