2023年3月8日 18:59:00 JST

「この計画は大変です。」―シュナイダー主使徒は、フェルバッハ(南ドイツ)で最近行われた礼拝説教を、こう締めくくりました。この計画とは具体的に何でしょうか。それは、「信仰に基づく働き」「愛に基づく労苦」「希望に基づく忍耐」です。

 

2023年1月15日の礼拝で引用された基調聖句は、テサロニケの信徒への手紙一1章2~3節でした。「私たちは、祈りの度(たび)に、あなたがたを思い起こし、あなたがた一同について、いつも神に感謝しています。あなたがたが信仰の働きを示し、愛のために労苦し、また、私たちの主イエス・キリストに希望を置いて忍耐していることを、絶えず父なる神の前に思い起こしているのです。」〔以下、主使徒による説教の概要〕

引用された基調聖句の背景

パウロはテサロニケに数週間滞在して福音を宣べ伝え、教会を設立しました。これが功を奏して、多くの有力な女性たちがキリスト教に目覚め、入信しました。これに今度はユダヤ人たちが腹を立てました。彼らは市場に行き、パウロを追い払うために「悪人たち」を雇いました。パウロは隠れてテサロニケから避難したため、悪人たちはパウロを見つけることができませんでした。

それでも会衆は信仰を深めていきました。忠実であり続けただけでなく、信仰を成長させ、真剣で忠実な会衆になりました。このことにパウロは感謝しているのです。信仰の働き、愛のための労苦、希望を置いた忍耐について言っているのです。

こんにちにおける信仰の働き

ここで言う信仰は何でしょうか。もちろん、イエス・キリストを信じることです。私たちは、イエス・キリストが私たちに示された神であることを信じます。イエス・キリストが愛の神、恵みの神、慈しみの神であることを信じます。そしてさらに、イエス・キリストを信じる者は、復活を信じます。復活を信じなければ、全体が全く意味をなさないのです。

しかし信じるならば、非常に具体的な効果が出てきます。信仰は公(おおやけ)にすることによって伝わります。私たちは三位一体の神様を信じ、使徒の使命を信じ、教役職を信じ、サクラメントを信じます。こんにちにおいて、信仰の働きとは、信仰を具体的に実践することです。信じて、信じていることに従って行動するのです。

こんにちにおける愛の労苦

パウロの言う愛とは、神様の本質を指します。父、御子、聖霊なる神様の間に存在する関係のことです。そして神様は、その愛によってこの交わりの中に私たちを迎え入れたいと願っておられます。

この愛は、すでに水と御霊から再び生まれたことによって、信徒に注がれています。この愛の広がる心を抱く人は、神様との交わりを切望し、その人の愛の労苦が始まるのです。

愛の労苦とは何でしょうか。神様との完全な交わりを妨げるものをすべて捨て去るために努力することです。しかもその努力を継続することが必要です。イエス・キリストを見出し、悟り、イエス様について知れば知るほど、あるものがふさわしくなく、不適切であることに気づくでしょう…ある認識、特徴、何でも構いません。

またこの愛によって、隣人が神様との交わりを持てるようにと願うようになります。隣人が神様へ至る道を見つけ、向かって行くのを助けたい、と願うのです。慰め、強め、助け、祈りたいと思うのです。従って、自分自身が祝福を受けたり、神様の奉仕を体験したりできるようにするだけでは不十分です。愛があればこそ、隣人が祝福を受けたり神様の奉仕を体験できたりしてほしいと思うのです。見返りを期待することなく、成功や失敗に右往左往せずに、です。

労苦とは、継続的な努力だけでなく、疲れるものでもあります。愛の労苦は必然的に疲れるものです。常に自分自身に課される試練です。愛の労苦を実践していると、「隣人に仕えるという、主であり師であるイエス・キリストの模範にはまだほど遠い」と気づかされます。特に、成功しなかったり、何の反応も見返りもなかったりすると、なおさらです。やがて、嫌になってしまいます。本当に愛する人は、そうすることで疲弊していくのです。本当にイエス・キリストのように愛したい人は、自分の力だけではできません。神様の助けがあってこそできることであり、その助けを、御言葉、サクラメント、聖餐を通していただくのです。

こんにちにおける希望を置いた忍耐

最後になりますが、希望とは信仰と愛との間の娘のようなものです。私たちは、神様が私たちをご自身と交わらせたく願っておられると信じ、その交わりが実現するのを切望します。この希望は、常に未来を指し示すものです。時には悪いことがあったとしても、私たちは未来志向です。希望とは、この世で失ったもの以上のものを受け取ることができる、という信仰と確信を持つことです。

そして、希望とは、自分でできないことを知るための恵みのことでもあります。しかしパウロによれば、この希望には忍耐も必要です。希望は、どんな困難があっても、どんな誘惑があっても、信じ続け、働き続け、仕え続け、愛し続ける力を与えてくれます。これが忍耐なのです。

希望はまた、常に喜びと結びついているので、人が待ち望むものを―それを手に入れるという確信と共に―喜びをもって期待することです。私たちはいつも、たとえ最悪の時でも、喜ぶべき理由があるのです。主がまもなくが来てくださること、復活が近いことを知っているからです。

原著: Simon Heiniger
https://nac.today/en/158033/1147644→

nac.today: New Apostolic Church International

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