2023年3月29日 0:00:00 JST

「私はあなたの神、主である。」とは言え、主なる神様とはどのようなお方なのでしょうか。この問いに、主使徒は「神様に、私たちはイエス・キリストを通して出会うのです」と述べ、その意味を解説しています。

「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない」(出20:2-3)。これが、2023年2月5日にポワントノワール(コンゴ共和国)で主使徒が行った礼拝の基調聖句でした。〔以下、説教の概要〕

イスラエルの神

この言葉は非常に有名で、神様がシナイ山で人々に与えられた戒めの最初です。まずこの言葉をもって、神様は人々に語られるのです。すべての生命の創造主であり、根源であり、守護者であられる、出エジプト記3章14節の 「私はいる」というお方、常にご自分の人々と共におられ、彼らを捕囚から解放してくださったお方です。

主は人々に、ご自身が自分たちのであると悟るのを期待しておられました。つまり、神様が全能であり、自分たちが神様に全面的に依存しているのを自覚する、ということです。そして人々は神様を賛美し、神に犠牲を献げなければなりませんでした。それは神様に気に入られるためではなく、神様に感謝の姿勢を表すためでした。

イスラエルの人々が他の神々に寝返ることは、あってはなりませんでした。それは、彼らが神様を完全に信頼せず、神様に完全に身を委ねず、アダムとエバの過ちを繰り返し、神様と同じレベルに自分を置こうとすることを意味するからです。

キリスト者の神

ほかに神々があってはならない、という戒めは、私たちキリスト者にも当てはまります。しかも神様は、私たちにご自身を明らかにし、ご自身を示してくださったのです。シナイ山の煙や火や雷の中ではありません。そうではなく、地上においでになった御子イエス・キリストを通して、私たちにご自身を現されたのです。私たちは、イエス・キリスト、その教え、その人柄を通して神様を知ることができるのです。

イエス様は、神様が創造主であるだけでなく、慈悲深い御父であり、ご自分の子供たちが必要としているものをご存じで、彼らを養ってくださるお方である、と教えておられます。私たちは、人々を恐怖に陥れ、悪人に罰を与えて従わせるような神には従いません。それどころか、御父は、私たちが間違ったことをしても、従わない時でも、私たちを愛してくださるのです。

イエス・キリストのことを、マタイによる福音書1章23節で「インマヌエル」と表現しています。「神は私たちと共におられる」という意味です。実際、イエス様は人々と共に人生を歩み、共に喜び共に悲しみ、共に苦しみ、共に不幸を味わい、挙げ句の果てに、共に死なれたのです。こうして「私はここにいる。あなたがたと共にいる」ことを示されたのです。

神への奉仕

そして私たちにとって、第一の戒めは、神様こそが崇めるべきお方であることを意味します。私たちは、神様が私たちのためにこれまでにしてくださったこと、今してくださっていること、これからしてくださることを称え、祝い、崇めるために、礼拝に集うのです。

私たちは心の中に他の神々、つまり神よりも大切になってしまう他のものを持ってはいけません! イエス様は、偶像の中でも最も強力な存在である不正の富に対してこう警告されました。「誰も、二人の主人に仕えることはできない。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

そして、最後の偶像は、「自分」です。利己主義です。物事の善悪について、神様よりもよく知っている人など、いるはずがありません。また、自分の考えを押し付けたり、自分が必要とすることを他人の必要とすること以上に重要視したりして、隣人を支配しようとしてはいけません。

神様は、イエス・キリストにおいて、私たちにご自身を現されました。私たちは、賛美、感謝、信頼、愛を通して、イエス様を崇めます。私たちにとって、神様より大切なものはありません。

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1148837→

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