2023年4月12日 0:00:00 JST
言うまでもなく、イエス様は世の光です。しかしその光を、信徒も輝かせるようにしなければいけません。そして陰府の領域に放つようにしなければいけません。主使徒は最近の礼拝で、このことについて考察しました。
「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天におられるあなたがたの父を崇めるようになるためである。」このマタイによる福音書5章16節の言葉は、2023年2月26日、カーボベルデのプライア〔ウィキペディア→〕で行われた礼拝の基調聖句とされたものです。〔以下、説教の概要〕
「私は、世にいる間、世の光である。」これはイエス様ご自身が言われたことです。イエス様は人々に光をもたらされました。どのような光でしょうか。
- イエス・キリストは神様が持つ本質を人々に明らかにされました。神様は皆さんを世話してくださる、良い御父であり、恵みと憐れみの神様、愛の神様です。
- 彼はただ説教されただけではありません。実際に、神様の愛による業、神様の恵みによる業をなさったのです。そうすることによって、神様は、皆さんを愛し、赦し、助けてくださったのです。私も皆さんを愛し、赦し、助けます。
- イエス・キリストは、人類に救いの真髄を明らかにされました。救いとは、この世のすべての問題を解決することではなく、悪と死がもはや存在しない御国へ導くことなのです。
- イエス様はすべての質問にお答えになったわけではありません。ラザロの死が防げなかった理由をマルタに告げておられません。神殿でガリラヤ人が殺された理由も、シロアムの塔が崩れて人が死んだ理由も、説明なさいませんでした。
- キリストの光は、罪を避け、イエス様を信じて従い、サクラメントを受け、使徒の教えを堅く守る、といった救いに至る道を教えます。
イエス様はこの救いに至る道を、生きている人たちと死んだ人たちの両方に教えられました。聖書には、「イエス・キリストが死後、死者の領域に入り、その光をあの世にもたらした」と書かれています。
働きによって光を生み出す
イエス・キリストが光をくださったのですから、今度は私たちがこの光を輝かせなければいけません。しかし、口先だけでなく、働きを通して自分の光を輝かせましょう。それには次のようなものがあります。
- 神様への感謝を通して、神様が私たちの世話をしてくださる御父であることを明らかにします。私たちが持っているものは、神様から出たものです。
- 自分の人生で起きていることが理解できなくても、神様にとどまり、神様を信頼しましょう。信仰を深くし、信頼することを通して、神様を私たちが愛していることを分かっていただくことができます。
- 未来を恐れません。私たちが分かっていることですが、最善のことはこれからやって来ます。イエス・キリストの再臨を常に優先させます。
- 救いの道を、他の人々も知らせたいものです。主と共にいられるようにするには、こんにちの内から主に従わねばなりません。イエス・キリストに従うというのは、非常に簡単なことです。主が愛してくださったように、私たちも愛すれば良いのです。
- 贖われるために、使徒に従い、礼拝に出席し、聖餐に与ります。
その効果は陰府の領域にも
私たちが助けたいと思っているのは、この地上の人たちだけではありません。陰府にいる人たち、つまり死者が贖われることも望んでいます。なぜなら神様は生きている人にも死んだ人にも平等であり、神様が提供する救いは地上でも陰府でも同じである、ということを堅く信じているからです。
そして、信じているからこそ、私たちは故人のために祈るのです。私たちの祈りを確実で効果的にするためには、まだすべきことがあります。死んだ人を遇(ぐう)するように生きている人を遇しなければなりません。陰府にいる罪人のために執り成しておきながら、この地上で罪人を裁き、断罪することはできません。
イエス様は世の光です。私たちは、イエス様を模範とする人生を歩むことで、イエス様の光を輝かせるのです。私たちは、故人を神様が愛しておられることを信じ、故人が救われるよう祈ります。
原著:Andreas Rother
https://nac.today/en/158033/1155730→
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