2023年4月19日 0:00:00 JST

誰もが何らかの形で苦しみに直面します。しかし、その苦しみ私たちはどう対処すればいいのでしょうか。多くの疑問はあっても、それらに対する答えはほとんどありません。しかし、一つだけ、慰めと強さを与えてくれる源となるものがあります。そして、私たちが従うべき手本が存在するのです。

 

「信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。この方は、ご自分の前にある喜びのゆえに、恥をもいとわないで、十字架を忍び、神の王座の右にお座りになったのです。」この言葉は、2023年3月12日、アメリカのニューヨークで執り行われた礼拝の中で、ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒によって示された解決策です。

 

〔説教の概要〕私たちは皆、苦しみと向き合わなければなりません。多くの人は、痛みや苦難、試練と向き合わなければなりません。また、自分の身の回りによってつらい思いをする人もいます。ですから何らかの形で、私たちは人々と一緒に苦しむのです。

 

すると、こんな疑問が沸いてきます。「なぜこのような苦しみが存在するか。なぜ神様は介入してくださらないのか。自分に何ができるのか。」聖霊は、そのすべての質問に答えてくださるわけではありません。その代わりに、次のような助言を与えてくださいます。「イエスを見つめ、イエスの受難を思い出しなさい。」

 

 

苦しみをどう理解すべきか

キリストの受難は私たちに何を教えているでしょうか。まず、苦しみというものを、次のように理解すべきです。

 

  • 決して罰と理解してはいけません。イエス様は完全なお方で、全く罪がありませんでした。イエス様が神から罰を受ける理由はなかったのです。

 

  • また、必ずしも判断を間違えた結果とも限りません。この世における多くの問題であれば、それで説明がつきます。しかし、それで地震を説明できません。地殻変動は、人間には起こせないのです。

 

  • また、苦しみは必ずしも、私たちが精神的に成熟するための試練とも限りません。それも苦しみを説明するための一つとはなり得ますが、子供さんが癌で亡くなる理由にはなりません。

 

苦しまなければならない理由、適切な理由、一般的理由を説明できる答えは、ないのです。私たちは神様を理解できないのです。イエス様でさえ「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」と言われたように、神様を理解しておられませんでした。結局、イエス様は「私の霊をあなたの御手に委ねます」と仰せになりました。同様に私たちも神様を信頼することしかできないのです。

 

 

苦しみにどう対処すべきか

キリストの苦しみは、私たちが苦しみにどう対応すれば良いかを教えています。

 

  • 愛をもって対応します。御子は人間と交わりを持つために、神様の栄光を放棄し、人間と運命を共にされました。

 

  • 神様への態度において対応します。苦しみばかりにとらわれないでください。私たちの目標に集中しましょう。苦しみがどんなにつらくても、皆さんの人生が振り回されないようにしましょう。

 

  • 隣人に対する振る舞いにおいて対応します。厳しい時には、行動を通して人々の助けになるという使命が、私たちにはあります。そのような時こそ、私たちが多くの人にとって、特別な祝福となるべきなのです。

 

 

キリストの御業の完成を阻むものは何一つない

私たちは、救いの御業があまりうまくいかなくなっていると思われかねないような時代に生きております。イエス様は教会をお見捨てになったのでしょうかとんでもありません。教会と共に、使徒たちと共に、最後までいつも一緒にいてくださいます。

 

以上、キリストの受難から何を学べるのかということについて考えてみました。キリストの受難はただ悲しい話ではなく、慰め、知恵、喜びの源でもあります。なぜなら、イエス・キリストが御業を成し遂げるのを妨げるものは何一つなく、誰もいないことを、私たちは知っているからです。それが私たちの信仰です。私たちが確信していることです。

 

原著: Andreas Rother

https://nac.today/en/158033/1153922

nac.today: New Apostolic Church International

 

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