2023年4月26日 0:00:00 JST

イエス様は、弟子たちがすっかり動揺し無力になる事態のために、備えをされました。それはご自身の苦しみ、死、復活です。ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は、リューネブルク(ドイツ)における礼拝で、弟子たちが示した様々な反応を取り上げました。

 

3月19日に行われたこの礼拝は、イエス様がご自身の死と復活について二度目に予告されたことに基づいて行われました。「それは、弟子たちに教えて、『人の子は人々の手に渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する』と言っておられたからである。弟子たちはその言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」(マコ9:31-32)。

 

ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は説教の中で、弟子たちの様々な反応を取り上げました。〔以下、説教の概要〕

 

 

言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられない弟子たち

最初、弟子たちはその言葉が分かりませんでしたが、怖くてイエス様にその意味を尋ねられませんました。聞きたくなかったので、無視することにしたのです。弟子たちはイエス様と一緒にいましたが、交わりの良い面ばかりを楽しんでいました。「助けてほしい時に、イエス様のところに行けばよい。イエス様には大きな力がある。イエス様が教え、我々が従い、そして祝福していただく。」イエス様に仕え、イエス様を補佐するのは、この方との交わりが素晴らしいからでした。一方でイエス様がこれから起こることについて話されると、弟子たちは聞こうとしませんでした。「今の状況が心地良いのに、どうして変えなければならないのか。」しかしイエス様は弟子たちにこうはっきりと言われました。「気をつけなさい!いつまでもこのままではないのだ。転機が訪れる。そのためにあなたがたは準備をしなければならない。」

 

こんにち多くの信徒は、教会での交わりを楽しみとし、それに参加していますが、キリストが再びおいでになるという教えを、もはや自覚しなくなっているという、危険な状態にあります。神様はこう私たちに伝えようとしておられます。「気をつけなさい、いつまでもこのままではないのだから。」イエス・キリストが再びおいでになるのです。神様が人類の歴史に介入されるのです。そして、すべてが変わるのです。それに私たちは備えなければなりません。私たちは、その一部として、伝えられていることを聞いていますが、経験していることがちょうど良いのに満足しており、物事がこのまま進んでいくと考えます。しかし兄弟姉妹の皆さん、私たちの聞いていることが、自分自身にとってどんな意味があるのかを、自らに問いかけてください。

 

 

ペトロの反論

イエス様の予告を聞いたペトロは、イエス様を脇へお連れして、「そんなことはあってはありません」といさめ始めました。彼は、イエス様が苦しみ死ぬこと、イエス様が殺されるということがどうしてあり得るのかを理解できなかったのです。悪に勝利するために、御父の御旨を実現しなければならなかったということが理解できなかったのです。

 

兄弟姉妹が苦しんでいるのを目にする時も、同じような思いになることがあります。「神様、こんなこと許せません!」私たちはしばしば、皆が一緒になってしっかり祈り信じれば状況が変わるだろう、とよく期待します。しかしはっきり申し上げますが、どんなに熱心に祈っても、自分たちの意志を神様に押しつけることはできません。神様の助けは、私たちが試練を乗り越えることで、忠実であり続け、イエス・キリストの真の証人となり得ることで成り立っています。このことも、私たちの祈りの中で優先されるべきです。

 

 

悲しみに包まれる弟子たち

弟子たちは、事の成り行きがもはや必然であることを悟った時、悲しみに包まれました。彼らは、とても大切なことを忘れていたのです。「私は苦しんで死ぬ」という、予告なさったことの最初の部分しか聞いていなかったのです。「三日目に復活する」ということを聞いていなかったのです。

 

当時と同じように、誤解による悲しみで行動できなくなる危険性があります。キリストがおいでになるまでの間、信徒は苦難や試練の時を通されることになります。「神様の御業が進展し、使徒たちが使命を果たし、最後の魂が御霊の証印を受けると、主がおいでになる」という考え方があるかもしれません。しかしそれは違います。かつて「苦難や試練の時代、悪の時代とは、迫害の時代である」とされてました。

 

しかし、こんにちにおいて教会が抱える最大の課題は、迫害ではなく、神様への無関心です。実は、このキリスト教への無関心に、誰一人備えができていなかったのです。そのためにとても悲しくなり、この悲しみに支配されてしまうのです。しかし、イエス様はこのことを予告されましたし、聖霊は「困難な時がやって来るが、驚いてはいけない」といつも私たちに警告しておられます。会衆の皆さん、約束の後半部である、主の復活と再臨を忘れないでください。

 

 

より多くを欲したヤコブとヨハネ

一方、ヤコブとヨハネは、キリストの苦難と死と復活の予告を理解していました。物事の終わりがやって来ること、イエス・キリストがご自分の王国を築こうとしておられることを悟っていました。そこで今のうちに自分の位置を確保しなければならない、と二人は思い、こう言いました。「私どもの一人を先生の右に、一人を左に座らせてください。」イエス様が予告なさったことから二人が導き出した結論は、間違っていました。彼らは自分たちの立場と将来を確保しようとしたのです。しかし、キリストの愛が自分たちの内に生きているならば、人より多く得ようとはしません。私たちの務めは、隣人が誰であろうと、私たちと同じ救いを受けられるよう貢献することです。このことを、イエス様は当時の弟子たちにお求めになり、そしてこんにちのキリスト者たちに求めておられるのです。

 

 

イエスの警告を真剣に受け止めなかった弟子たち

イエス様は、ゲッセマネの園で逮捕される直前、「あなたがたは皆、私を裏切るだろう」と予告されました。聖書によれば、その場にいたすべての人が「いや、こんなことはあり得ません。私たちは決してあなたを裏切りません」と言いました。イエス様は彼らに裏切られることを分かっておられましたが、その彼らにこう言われました。「私はあなたがたを自分の許に連れて行き、恵みを与えよう。」

 

すべての人の救いは、イエス様の恵み次第です。一人で救いを得ることはできません。主の助けが必要なのです。主がいてくださらなければ、私たちは何もできないのです。

 

原著: Simon Heiniger

https://nac.today/en/158033/1153932→

nac.today: New Apostolic Church International

 

 

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