2023年6月29日 0:00:00 JST

7月の礼拝は、喜びと救いの場所というテーマになります。魂がこの世にいても陰府にいても、神様はすべての人々が逃れて喜べる場所を造ってくださいます。

 

 

7月2日は故人のための礼拝で、以降の日曜日は「神が啓示なさる場所」というテーマを二度にわたって扱います。この時の福音は、「神の御国とイエス・キリストにある救いは近い」という趣旨です。この良い知らせをいただいていることによって、私たちは大いに喜ぶことができます。さらにこの良い知らせは、7月第四週と第五週のテーマでもあります。

 

 

神を信じることによって永遠に生きる

7月第一の日曜日は、例年通り、故人のための礼拝です。この日の基調聖句であるナホム書1章7節が明らかにしているのは、「神様を信じる、困窮状態に置かれているすべての人々にとって、神様は盾である、つまり逃れの場所である」ということです。このことは、陰府にいる人にもこの世にいる人にも言えます。

 

 

ここは神の家

ヤコブは兄を騙(だま)したことによって逃げざるを得なくなっていました。自分の家族から遠く離れた場所で、彼は神様と出会いました。この出会いが非常に中身のあるものだったことから、その場所はヤコブにとって、聖なる場所となりました。神様を崇(あが)める場所、臨在の場所、となりました。その場所にヤコブは供物を献げ、神様への忠誠を誓いました。

 

神様はこんにちにおいても、出会いの場所を用意してくださいました。そこが信徒にとってどれほど聖なる場所となっているでしょうか。こんにち、霊的な家族の無い多くの魂にとっても、そこが救いの場所となっているでしょうか。

 

 

ここにとどまろう!

「先生、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。幕屋を三つ建てましょう」(ルカ9:33)。イエス様が変貌なさった山で、ペトロはこのように言いました。しばらくの間、変貌なさった姿を見た弟子たちにとって、イエス様の神性が示されたのです。受洗なさった時と同じように「この変貌の場所から絶対になれたくない」という気持ちを、ペトロは表したのです。

 

この出来事は、第三日曜日の礼拝内容でもあります。神様の啓示を受けたり体験したりする場所は、安寧・平和の場所です。キリストは、信徒もその本質が「変貌」することによって、隣人が神様を体験しその臨在を感じられるようになってほしい、と願っておられます。

 

 

山々の上で良い知らせを伝える

第四日曜日の礼拝は「山々の上で良い知らせを伝える者の足」がテーマです(イザヤ52:7)。この者たちは平和と救いと良い知らせを宣べ伝えます。

 

「山々」を登らなければいけないのは、教役者だけではありません。誰にも越えられない山々のような状況があるかもしれません。それが期限や義務という「山々」であろうと、無理解や他人事(ひとごと)という踏破困難な「山々」であろうと、すべての人間が神様と交われるということを、その「山々」を越えて広めなければならない、ということは確かなのです。

 

このことを伝えるすべての人は、平和、喜び、良い知らせを伝える者となれます。

 

 

喜びを体験し共有する

「分けた喜びは二重の嬉(うれ)しさ」ということわざがあります。無くしたものを見つけることによって大きな喜びが得られるという事実については、7月最後の日曜日に扱う、無くした銀貨のたとえ話が見事に説明しています。私たちは、無くしたものをあきらめて探すのをやめたことが、どれほどあるでしょうか。イエス様が遣わされたのは、失われたものを見つけるためですから、神様は、すでに多くの人々から見放された人たちにも目を注いでくださいます。神様を探し求める人は、必ず見出すことができます。

 

人生で神様を見出す人は、喜びを体験しますが、その喜びを、さらに伝えるようにしましょう。つまりその喜びを共有しましょう。分け与えましょう。

 

 

原著: Simon Heiniger
https://nac.today/en/158033/1169381→

nac.today: New Apostolic Church International

←ホーム