2023年7月12日 0:00:00 JST

「この確信。自分は神様に愛していただいている、という確信。そして、どれほどの誘惑があっても、心の中には、神様は自分を愛してくださる、という平和を感じること。これが祝福なのです。」主使徒は最近の礼拝で、よくある誤解を解いてくれました。

 

 

2023年5月18日、スイスのクールで行われた礼拝では、イエス様の昇天を巡る出来事が聖句として引用されました。「それからイエスは、彼らをベタニアまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」(ルカ24:50-51)。

 

 

何のために弟子たちとしばらくおられたのか

イエス様は復活されたあとも、四十日間にわたって弟子たちと一緒におられました。その時間を用いて、示そうとしたことと成し遂げようとしたことがあったのです。

 

  • イエス様は復活されました。今も生きておられます。人々がイエス様を殺すことは、どうしてもできないのです。死に勝利し、悪の力に勝利されたのです。
  • 変化がありました。新しい体、復活の体をお受けになりました。また別の次元にお入りになり、自然の法則に縛られることがなくなりました。
  • 何があろうと、イエス様は同じでした。イエス様は私たちの友のままでいてくださいます。イエス様の私たちへの愛は変わりません。
  • 弟子たちがすべてを理解し切れていないことは、イエス様もご存じでした。最初からもう一度説明し、今まで起きたこととこれから起きることをお告げになりました。
  • 「私はいつまでであなたがたと共にいるから、私のようになりなさい」と、弟子たちに新たな務めをお与えになりました。

 

 

なぜ証人がい合わせたのか

イエス様にとって、ご自身の昇天を弟子たちが証言することは、とても大切なことでした。

 

  • 復活された時は、誰も目撃者がおらず、証人がいませんでしたが、昇天された時はそれと全く異なっていました。弟子たちにははっきり見えていました。雲の中に引き上げられる人は皆、神様と共にいます。雲は神様の臨在を象徴しています。
  • 本当の救いとは、天において神様と共にいること、神様と交わりを持つことです。それが昇天を体験する深い意味です。
  • イエス・キリストが神様と共に統治するという確信も、私たちの信仰における大切な部分です。
  • 弟子たちは、イエス・キリストが「私は父の近くにいて、神とつながっている」と仰せになったことについて、比喩的な表現だと思ったかもしれませんが、昇天が示しているように、比喩ではなく、現実なのです。
  • イエス様が最後になさったことは、弟子たちを祝福することでした。つまり「自分のもとに来るために必要なものをすべて与える」と約束してくださったのです。

 

 

祝福とは一体何か

祝福とは財産、健康、この世の繁栄である、と考える人がいます。これに対してイエス様は「霊の祝福によってあなたがたを祝福する」と言われます。つまり、御許に行くのに必要なすべてのもの―選び、罪の赦し、水と御霊により再生、聖餐、信徒の交わり、その他―をくださる、ということです。

 

祝福とは基本的に、私たちを救うすべてのものと、イエス様と永遠に一緒にいるために必要なものです。ですから祝福があるのは、繁栄ではなく、平和や霊の力の中です。祝福は私たちと神様との関係であって、他には何もないからです。

 

 

イエスは誰を祝福なさるか

そして、この祝福を得るには、何が必要でしょうか。一つ目は、神様の祝福に与るために、幼子のようになって、「すべては神様からいただくもの」と考えることです。二つ目は、イエス・キリストの祝福に与るために、イエス・キリストを信じなければいけません。イエス・キリストを信じるとは、イエス様が人となられたことから再びおいでになることまでを信じる、ということです。そして最後に、本当の祝福を体験したいならば、イエス・キリストの戒めを守り、神様へと愛と隣人への愛を増し加えていかなければいけません。

 

以上、簡単なことです。少なくとも言っていることは簡単です。実現させるとなると、多少難しくなります。しかしイエス・キリストが祝福してくださるなら、実現できます。

原著:  Katrin Löwen
https://nac.today/en/158033/1175794→

nac.today: New Apostolic Church International

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