2023年7月25日 0:00:00 JST

新使徒教会は昨年まで、本当に男性しか教役者に叙任していなかったのでしょうか。実際にはヨーロッパ、アメリカ、アフリカで80年間にわたって女性執事が活動していました。その事実の一部を今回紹介します。

 

 

カロライン・ロジーネ・プフェンダーは、自信にあふれ、エネルギッシュでビジネスウーマンとして成功していました。1874〔明治5〕年にドイツで生まれた彼女は、ドイツのシュトゥットガルトにあるヴィルヘルム・バイレ社のヘッドデザイナーに昇進しました。経営幹部として、売上高数百万ドル、従業員数千人の急成長企業でファッション・コレクションのデザインを担当しました。

 

西シュトゥットガルト新使徒教会の記録には、聖霊受印者の欄に彼女の受印時の日付が記されているだけでなく、「叙任」の項目にも記載があります。1909年12月12日、彼女はヨハン・ゴットフリート・ビショフ使徒から執事に叙任されました。しかもこれは例外的措置ではありませんでした。

 

 

例外的措置ではない

女性執事の人数について、一貫した統計はありません。しかし、少なくとも資料から見当がつきます。1897年の最初の教会記録によると、30人の男性教役者に加え、6人の女性が当時ベルリン市内3つの教会で執事として活動していました。

 

オランダには最も多く女性執事がいました。このことは、ヘルマン・ニーハウス主使徒が1906年にヤコブ・コフマン使徒とその仲間の教役者たちから誕生日プレゼントとして受け取った写真アルバムで確認できます。

 

 

アフリカとアメリカでも女性執事が

ヨーロッパだけの現象ではありません。例えば、教会雑誌『Der Herold』によれば、グスタフ・ラフ使徒が1900年にアメリカを訪問し、そこで女性執事を任命しています。また、『Neuapostolische Rundschau〔新使徒教会レヴュー→〕[i]』には、1909年にカール・ゲオルク・クリッベ使徒による南アフリカで行われた3件の任命が紹介されています。

 

そして、1933〔昭和8〕年から南半球担当の主使徒補佐として活動したハインリッヒ・ヴィルヘルム・シュラフォフ使徒は、自分の公的活動を日記に丁寧に書き留めていました。1934年から1940年の間に、南アフリカだけでなく、南米でも合計17人の女性執事が任命されました。

 

 

明確な理由なく消滅

しかし、1928年以降、ドイツでは女性執事の数が急激に減少しました。第二次世界大戦後は、オランダでも大幅に減少しました。ドイツの女性執事は1955年の統計以降見られなくなります。オランダでは、2人の女性執事が1959年に記録されているのを最後に見られなくなります。

 

このように女性執事が任命されなくなった理由については、推測することしかできません。その理由は、新使徒教会に関係する文献に、まだ見つかっていません。しかし、驚くべきことは、女性執事の任命されなかった地域があったということです。その地域においては、一種の男尊女卑のような風習があったのでしょうか。

 

 

叙任か嘱託か

しかし、女性教役職叙任の問題については、他の側面もあります。例えば、新教徒教会における女性執事の務めは何だったのか。また、嘱託という形態に留まるものだったのか、あるいは他の教役者と同じく叙任されたのか。女性執事はカトリック使徒教会の遺産であるため、もう少し掘り下げる必要があります。次回のこのシリーズで見ていくことにしましょう。

 

 

この記事は、新使徒教会シュトゥットガルト地区歴史研究会が公表している資料と、歴史学者マンフレッド・ヘンケの未発表資料に基づいています。ヘンケは新使徒教会の歴史に関する学術的著作に取り組んでいます。

 

 

原著: Andreas Rother
https://nac.today/en/157547/1184792→

nac.today: New Apostolic Church International

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[i] 日本語版も教会設立時から1980年代にかけて「我らの家族」に変わるまで発行されていました。