2023年7月27日 0:00:00 JST

主使徒職に就いたのは彼が初めてではありませんが、主使徒という称号がついたのは彼が初めてです。今から175年前の1848〔嘉永元〕年7月28日は、ヘルマン・ニーハウス主使徒の誕生日です。今回は、個々に点在していた会衆を新使徒教会という一つの教団にまとめ上げた人物の物語です。

 

 

彼の前任者であるフリードリッヒ・クレプスが、この職務を創設した正式な人物とされています。クレプスは当時「一致の父」としても知られていました。しかしクレプスが主使徒職として公式に記録されているのは、彼の死後、特に1906〔明治39〕年発行の定款の中です。そしてこれら定款にはすでにヘルマン・ニーハウスの印があります。

 

 

活動を始める

ヘルマン・クリストフ・ニーハウスは、使徒の中でも権威ある存在とみなされていました。西ドイツの新使徒教会の会衆は、実質的に彼の家を拠点としていました。彼はメンホフ使徒を通して信仰を持つようになり、シュヴァルツ使徒から御霊の証印を受けました。メンホフとシュヴァルツというこの二人の指導者の間では、すでにニーハウスが保証人として確実視されていました。

 

彼は、質素な環境で幼少期や青年期を過ごし、両親の農場で懸命に働き、田舎の土地を立派な地所へと発展させました。1905年に主使徒の職に就いた時、彼はその意欲と強い意志をさらに証明しました。具体的には、

 

  • 同年、ドイツのすべての使徒地区を訪問し、地区を再編成し、さらに三人の使徒を叙任しました。
  • 1907年、地元の教会登記簿に、この教会を新しい名称、すなわち新使徒教会で表記するようにしました。
  • 1907年からは『Sonntagsblatt』(日曜新聞)を発行しました。これが『Neuapostolische Rundschau』(新使徒教会レヴュー)へと発展しました。これを発行するための印刷所ができ、やがてこれが教会出版社へとつながります。
  • 1908年、教会初の子供向け教材が出版されました。続いて1916〔大正5〕年には、『信仰問答書』の前身となる信仰教本が出版されました。
  • 1914年から、第一次世界大戦に参戦する兵士たちは、ぶどう酒を垂らしたウエハースで聖餐を受けるようになりました。1919年には、一般にも使用されるようになりました。
  • 1921年、新使徒教会はバーデンで、1925年にはハンブルクで、公法上の法人格を与えられました。
  • 1922年、こんにちの新教徒教会国際本部の前身である協会という形で、使徒学会が設立されました。

 

 

一致における強さ

実のところニーハウス自身、それほど高水準の教育を受けたわけではありませんでした。説教をするためには、標準ドイツ語の個人レッスンを受けなければなりませんでした。学校では低地ドイツ語しか学んでいなかったからです。しかし、彼は実直で賢く、自分の欠点を補い、長所を補うような部下に恵まれました。

 

ニーハウスが後継者として考えていたボルネマン使徒も、そんな一人です。ボルネマン使徒の死を知った時、彼は「ハインリッヒ、ハインリッヒ、なぜ私を置いて行ってしまったんだ」と叫んだと言われています。

 

そしてブリュックナー使徒です。当初、ニーハウスと彼はまさにドリームチームでした。経験豊富なリーダーとして、二人は多くのことを実現できました。しかし、その後、彼らは対立することになりました。

 

 

改革から保守へ

ブリュックナー使徒が進歩を推し進め、これまで以上に奇抜な思想を展開したのに対し、ニーハウス主使徒は、第一次世界大戦という激動の時代を経て、平和と安定を取り戻すことに主眼を置いていました。結局、約90人の教役者と6,000人の会員が、ブリュックナー使徒と共に新使徒教会を去り、Reformiert-Apostolische Gemeindebund(改革使徒協会)を設立しました。

 

1910年代初頭から、オーストラリアのニーマイヤー使徒とその弟子である南アフリカのクリッベ使徒が、すでに独自の道を歩んでいました。これが、オーストラリアのクイーンズランド使徒教会と西ケープ州の古典使徒教会の創設につながりました。

 

このようなことが起こると、もう一つの性格的特徴が前面に出ました。ヘルマン・ニーハウスは父親のようなタイプで、その指導の仕方には優しさと同じくらい厳しさもありました。しかし、彼の忍耐強い我慢強さは、抵抗や反発を受けると、容赦なく厳しい姿勢へと豹変〔ひょうへん〕しました。

 

しかし、ほとんどの場合、ヘルマン・ニーハウスは愛すべきいじめっ子で、その独特のユーモアのセンスと素朴な皮肉は、せいぜい気の弱い人を怖がらせる程度でした。しかし何よりも、就任時にばらばらに点在していた517の会衆を引き継ぎ、1771の会衆から成る教会組織を後任者であるフリードリッヒ・ビショッフ主使徒に引き継いだ教会指導者として、彼の名は常に知られることになるでしょう。

原著:  Andreas Rother

https://nac.today/en/157547/1184782→

nac.today: New Apostolic Church International

←ホーム