23. 8月 2023

神様の恵みと誠〔まこと〕はどこまで届くのでしょうか。天と雲まででしょうか。それは何を意味するのでしょうか。そして、神様の慈しみを受けたら、どう反応すべきなのでしょうか。主使徒はアンゴラで司式した礼拝で、これらすべてを説明してくれました。

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2023年7月2日、アンゴラのルアンダで、約13,000人の信者が故人のための礼拝に参加しました。この礼拝は、アンゴラでの教会創立40周年を祝う行事と重なりました。ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒は、詩編57編11節に基づいて説教を行いました。「あなたの慈しみは大きく、天にまで及び/あなたのまことは雲にまで及ぶ。」〔以下、説教の概要〕

 

神の慈しみ

神様の慈しみとは、人間に対する神様の愛と献身です。どんなに裕福な人でも、どんなに頭の良い人でも、神様の慈しみを金で買ったり取引をして手に入れたりすることはできません。神様が私たちにくださる慈しみとは、憐れみであって、報酬ではないのです。

 

今回の聖句は、慈しみや恵み、あるいは真実や誠実という表現で、詩編に度々登場します。

 

神様が私たちにもたらそうとしておられる救い、善とは天国です。神様は人間が天においてご自身と共に暮らすことを望んでおられます。私たちがイエス・キリストの似姿に成長し、イエス・キリストと共に統治することを望んでおられるのです。自分の力でこれを達成できる人は誰もいません。イエス・キリストのような人、つまり罪のない人になることはできません。どんなに優れた人でも、罪人であることに変わりはないのです。

 

遠くに届く神の慈しみと憐れみ

神様は、イエス・キリストを信じる人に対して、すべてを赦してくださいます。神様の慈しみや恵みは、天に及ぶのです。つまり、神様はすべての人々を、ご自分から非常に遠く離れている人たちをも、救おうと願っておられるということです。

 

神のいつくしみが天まで届くということは、神の影響範囲が私たちの限られた地平線のはるか彼方に及ぶということでもあります。慈しみと憐れみは、私たちから全く見えない、この世の向こう側にも届きます。神様は陰府にいる人々が救われるために働き続けておられます。

 

そして、神様の慈しみには三つ目の側面があります。つまり、神様は永遠を見通しておられるのです。私たちに、地上でのすばらしい時間を数年与えたいだけではなく、ご自身と永遠に共にいられるようにしてあげたいと願っておられるのです!

 

 

神は頼れるお方

神様は真摯で誠実なお方です。絶対に頼れるお方です。断言できます。これは、神様の戒めがすべての人間に対して永遠に有効であるということでもあります。神様の戒めは、貧しい人のためだけのものでも、金持ちのためだけのものでもなく、この国のためだけのものでも、あの国のためだけのものでもありません。神様の戒めは、この世でもあの世でも、生きている人にも死んだ人にも、例外なくすべての人に有効なのです。

 

そのすべての人に言えることですが、救いを得ようとする者は誰でも、イエス・キリストを信じ、キリストに従わなければなりません。ペトロがすでにこのことを明らかにしています。「私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

 

イエス様は貧しい人々を特に憐れみ、こうした人々も救いを得られると約束されました。これは形ばかりの慰めではなく、実現性のないことを人々に約束なさったわけではありません。神様はこの約束を守ってくださいます。イエス・キリストはまた「毎日使徒たちと共におり、地獄が教会を支配することのないように教会を守る」と約束されました。これがイエス・キリストの約束です!

 

 

我々はどう対応するのか

恵み深く誠実な神様から、私たちはどのように益を得れば良いのでしょうか。

 

  • 一つ目に、イエス・キリストを信じ、従うことです。何があってもイエス様を信頼し、どんな状況でもイエス様の御旨を行います。
  • 二つ目に、自らの過ちを真摯に認め、改善に努めることです。私たちはいつも自分の罪を軽く見ようとします。そして、都合の良い言い訳をします。しかし、神様の恵みに与りたいなら、正直に、心から、自らの罪を告白しなければいけません。自分が犯した罪を悔いて、改めなければいけません。
  • 最後に、神様の約束に与りたいと思うなら、イエス・キリストが約束を成就なさるまで、常に忠実であり続けなければいけません。それが、歩むべき道です。

 

すでに神様の慈しみや憐れみに与った方々へ伺います。「それにどう応えるべきでしょうか。」

 

  • 恵みの特質を理解したなら、それに従って対応すべきです。なぜなら、神様がどれほど誠実で真摯なお方か、どれほど信頼できるお方かを体験したからです。それ故、報酬や取引でなく、感謝と愛から主に奉仕するのです。
  • 特別な形態の感謝とは、ヨハネによる福音書17章20~21節に書かれている、「すべてのひとがひとつになるように」というイエス様の願いをかなえることです。

 

私たちの感謝を表す大きなしるしであり表現は、一致に努めることです。イエス・キリストにあって一つになろうとするたゆまぬ努力ほど、神様に大きな喜びを与えられることはありません。

 

原著: Simon Heiniger

https://nac.today/en/158033/1192276→

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