2023年10月24日 0:00:00 JST

「使徒団は、女性が教役職の権限の委託を受けることは可能であると判断する。」これは聖書の知見についてしっかり議論した上で決定したことです。今回は、女性に教役職を叙任することの正当性を詳しく考察します。

 

 

女性の教役職叙任に関する教義の基本は、人間の持つ性質と人間が救いを必要としていることという二つの柱の上に成り立っています。神様が生物学上の性の違いを重視しておられるか否かということが、極めて重要なのでしょうか。なぜなら叙任を通して与えられるのは、「神の」御名において発言したり行動したりする権限だからです。

 

 

同じ性質、同じ尊厳

神様が生物学上の性の違いを重視なさっているかどうかに対する答えは、神様のかたちに人が造られたという事実から知ることができます。この事実は「人間による神様との根本的な関わり、神様による人間との関わりを浮き彫りにします」と、礼拝指針2022年特別第3号に書かれています。

 

この点について、男女間に違いはありません。男女ともに神様ご自身と直接的な関係があります。ですから男女とも、等しく神様のかたちに造られているのです。「人間学的に見て、男性と女性、女性と男性には同じ尊厳があり、神様から同じ使命を授かっているということです。」

 

 

等しく贖いを必要としている

神様は男と女を、完全なものとしてお造りになりました。しかし堕罪が両者に――同じく――損害をもたらしました。両者とも、原罪と罪を犯す性質に悩まされています。そのため神様から離れた状態にあり、罪無しに生きることができなくなっています。

 

「さらに女性と男性は救済論的必要性を同等に持っています」と礼拝指針は強調しています。男性も女性も罪人であり、神様による慈しみ深い配慮と贖いを、等しく必要としているのです。

 

実際、神様は全人類を愛し、配慮されます。イエス・キリストが死なれたのは、全人類のためです――つまり男性のためにも女性のためにも死んでくださったのです。そして死なれたことによって獲得された救いは、男性も女性もいただけるのです。

 

 

キリストにおいて等しく一つ

「社会的性別に関係なく救いを受けることができるなら、社会的性別に関係なく救いの仲介に従事することも可能です」と礼拝指針は述べた上で、救いの仲介は御言葉とサクラメントを通してのみ行われる、という制限を定めています。

 

ここで「礼拝指針2022年特別第3号」は、ガラテヤの信徒への手紙328節に言及しています。「ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人もありません。男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。」御言葉とサクラメント、教会と教役職――これらすべての中心には、キリストがおられます。そしてキリストにおいては、男性も女性もなく、ただ人間なのです。

 

使徒パウロがここで言おうとしているのは、「すべての信徒がともにキリストの体を形成している」ということです。このことを「教会の原理と土台、救いの仲介の原理と土台としてしっかり具体化しなければいけません。」

 

 

等しく祭司に

最後に「信徒は万人祭司である」ということを、二つの側面から論じます。一つ目として、すべてのキリスト者には男女に関係なく、言動を通じて主を公(おおやけ)に広めその福音を宣教する務めがあります。二つ目として、平和王国において男女双方がキリストと一緒に奉仕することになります。

 

この礼拝指針は次のように結論づけています。「女性男性双方に、万人祭司の務めが与えられていますが、さらに霊的職務に就く可能性もあります。ですから、女性も祝福、聖別、権限を、使徒職の仲介を通して受けることが可能です。」

 

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女性の教役職叙任に対しては、反論もあります。この反論について、使徒たちはしっかりと議論しました。このことについては、次回のこのシリーズで考察します。

 

原著: Andreas Rother

https://nac.today/en/158033/1176102→

nac.today: New Apostolic Church International

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