2023年11月29日 0:00:00 JST
イエス様による「ちゃぶ台返し」――このことをすべての人々に伝えていかなければなりません。私たちが言っているのはこの世の終わりではなく、大いなる未来なのです。これは伝道者だけに申し上げているのではありません。
それは、聖書の中で最も有名な言葉の一つであり、2023年11月26日に行われた教役者のための礼拝で主題として取り上げられたものです。「だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ18:19-20)。この礼拝はヨーロッパ中に生放送されました。
弟子にする
使徒たちの使命は人々を弟子になるよう招くことです。
弟子とは何でしょうか。「弟子は主人のような生活をし、主人のように振る舞う。なぜなら天国の主人のようになりたいからだ」とヨハネの手紙に書いてあります。
ではどのような人が弟子になれるのでしょうか。弟子になることと、人格や出自や文化的背景とは無関係です。「主に従いなさい」と全国家全国民に呼びかけるために、私たちが遣わされたのです。自覚しなければいけないのは、「自分を遣わしたのはイエス様であって、人々ではないし使徒でもない」ということです。
イエスの戒めを教える
主は「守るように教えなさい」とも言われました。何を守るのでしょうか。イエス様の教えは全く逆の価値観です。およそこの世では通用しません。
例をいくつが挙げます。
- イエス様は「信じなさい」と教えておられます。これはこの世的に通用しません。こんにちであればすべての物事に対して説明や証拠が必要です。
- 神様との関係を、他の何よりも大切にしなければいけません。神様との関係は、自己の達成しか議論されないこの世には存在しません。
- 「隣人を裁いてはいけない」とイエス様は説かれました。ソーシャルメディア→を考えてみてください。いつも誰かが誰かを裁いています。
- イエス様は弟子たちの足を洗われました。当時、足を洗うというのは奴隷の仕事でした。つまり「神様の御業において行うすべてのことは、奉仕として行うべきものだ」ということです。奉仕は、皆さんの名誉とか宣伝のためではなく、主のために行いましょう。
イエスの戒めを守る
戒めを守るとは、それを実行することだけではありません。実行するのが難しい時や難しくなった時も、守らなければならないということです。隣人が神様の戒めに従っていなくても、私たちはその隣人を愛します。隣人が神様やその人の隣人を愛していなくても、私たちは愛します。私たちを愛していなくても、私たちを拒んでも、その隣人を愛します。私たちはその隣人を愛し、その隣人が救われるようにひたすら働くのです。
このおかしな世の中にあっても、未来において、少なくとも私たちの会衆では、すべての人が門をくぐり、歓迎され、尊敬され、愛される場所であり続けるように、しっかり整備しておきましょう。
イエスはご自分の民と共におられる
天のお父様が御子イエス様と共におられたように、イエス様は私たちと共にいてくださいます。天のお父様はイエス・キリストの苦い杯を取りのけたわけではありませんが、確実に使命を果たせるようにされました。
こんにちに関して言うと、イエス様は次のように告げておられます。「私はあなたがたにすべてを免除するつもりはないが、心配してはならない。あなたがたの使命が果たせるように、第一の復活が実現するように、花嫁の支度ができるように、私の持つ全能の力を用いよう。」
世の終わりまで
イエス様言われた世の終わりとは、悪の支配を指しています。つまりイエス様は次のように言っておられるのです。「あなたがたが悪の支配下で生きている限り、私はあなたがたと共にいる。しかし私は戻って来て、その悪の支配からあなたがたを救い出す。」
新使徒教会で宣べ伝えるのは、世の終わりではありません。新しい世を宣べ伝えるのです。すべてが御心に適う世です。声を上げて言いましょう。「最高のものはこれからだ。」
原著: Andreas Rother
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nac.today: New Apostolic Church International