2024年1月15日 0:00:00 JST
伝統的には、東方の三人の博士〔マギ〕が馬小屋にいたことになっています。しかし聖書にはそう書かれてありません。当時マリアとその子は民家に滞在していた、とされています。神話や伝説から多くの影響を、歴史は受けます。キリストが異邦人に姿を現されたことをお祝いする公現祭〔エピファニー〕は、こんにちまで行われています。
マタイによる福音書2章は12節あります。突然、「東方の博士たち」(1節)がエルサレムにやって来て「ユダヤ人の王」(2節)を探し始めます。そのお方がどこにいらっしゃるのかを尋ねるのですが、尋ねたその相手が良くありませんでした。というのは、ヘロデ王は不安を抱き(3節)、「祭司長たちや民の律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかを問いただした」のです(4節)。ヘロデは「ひそかに」(7節)博士たちを自分の密偵としてベツレヘムに送り出しました。博士たちが出かけると、星は彼らに「先立って進み、ついに幼子がいる場所の上に止まった」(9節)。博士たちはエルサレムでがっかりさせられたものの、「その星を見て喜びに溢れ」(10節)、「家」(11節)に入り、ひれ伏してイエス様を拝みました。これは通常、国王にのみなされる敬意の行為です。「宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節)。そして神様はイエス様たちを「別の道を通って」(12節)故郷に送り返し、ヘロデの殺戮(さつりく)からお守りになりました。
三人の博士になるまでの過程
不特定の数の賢者がどのようにして三人の博士になったのでしょうか。まず初めに、3という数は様々に変動していました。紀元3世紀に入ると、最終的にオリゲネス→という人がその数を3に決めました。三つの贈り物が、この重要な判断をするきっかけでした。黄金、乳香、没薬という贈り物が非常に高価であったことから、これらを運んでいた人々も王族ではないかと考えられたのです。
やがて、三人の博士にも名前が付けられました。シリアでは、ラルヴァンダード、グシュナサフ、ホルミスダスと呼ばれました。アルメニアでは、カグバとバダディルマと呼ばれる二人の博士とされています。エチオピアには二通りの名前があり、一方はタニスラム、ミカ、シシスバ、もう一方はアウニソン、リブター、カサードです。西洋では、最初にChristus mansionem benedicat(「キリストがこの家を祝福しますように」)という祝福の言葉があって、次にそれぞれ最初の文字C、M、BからCaspar、Melchior、Balthasarという名前が付けられました。
ますます多くの横顔が
歴史を重ねる中で、博士たちは名前だけでなく、おおよその年齢と国籍も与えられました。世代別の年齢まで設定され、一人は非常に若く、もう一人は中年で、もう一人は老人とされました。8世紀には、彼らはセム、ハム、ヤペテ〔ヤフェテ〕という三つ部族に割り当てられました。そして12世紀には、三人がそれぞれアフリカ大陸出身、ヨーロッパ大陸出身、アジア大陸出身とされました。当時、知られていた大陸がこの三つでした。
贈り物が語る意味
黄金は貴重な金属です。乳香はボスウェリア属→の木や低木の樹脂で、香水や燻蒸剤として儀式で使われます。没薬もまた、没薬の木の樹脂であり、薬用植物としても利用されています。これは香りとしても使用されますが、苦味があり、死体の防腐処理にも使用されます。
すでにオリゲネスは、苦い没薬が苦痛の末の死を象徴するものと捉えていました。しかし、肯定的に考えれば、これが薬用植物であることから、イエス様が人々に救いをもたらす救い主であることを象徴していると言えます。黄金はイエス様が王の資格のあるお方であることを指し示しています。つまりイエス様が真の支配者であるということです。そして、燻蒸剤として使用される乳香は、イエス・キリストが大祭司であることを表し、オリゲネスによれば、人々にイエス様が神であることを思い起こさせるものです。既にイザヤは彼の預言で黄金と乳香に触れており(イザ60:5, 6)、詩編72編15節でも王たちへの一般的な贈り物として黄金が挙げられています。
すべての人々のために
ギリシャ語の「エピファニアス」は「現れ」「出現」を意味します。神様は御子を通して人々の前にご自身を現されました。ユダヤ人だけでなく、世界中の人々にご自分を示してくださったのです。博士たちはユダヤ人でなく、当時の言葉で言えば異教徒でした。マタイによる福音書2章1節の1954年版日本語訳には「見よ」という言葉があります。英語訳にもドイツ語訳にもこの表現があります。やはり、これがまったく新しく驚くべきことであることを示しているのです。イエス様の顕現というこの出来事は、イエス様が全人類のためにおいでになったことを知らせ、御子イエス様に待ち構えていること、つまり多くのユダヤ人がイエス様を拒絶する一方で、神様の王国がすべての民に開かれるということ予告しているのです。
ですから、三人の博士の日、聖者とあまり関わりのない人々の日に、「公現祭〔エピファニー〕」が行われます。公現とはすべての人々に神様がおいでになってくださったことを意味します。キリストは、肌の色、出自、過去に関係なく、すべての人々を救ってくださいます。イエス様を求める人は、必ず見つけられるでしょう。人間となったイエス様に敬意を表し、従うようにとすべての人々を招くのです。
原著: Katrin Löwen
https://nac.today/en/158033/1250430→
nac.today: New Apostolic Church International