2024年2月2日 0:00:00 JST

信じる人は語り、分け合います。神様に語りかけ、自分の信仰を人に伝えます。二月の礼拝は「神への献身」について考えます。告白の二月、賛美の二月、感謝の二月、執り成しの二月となります。祈りは役に立つのです!

 

 

信仰は神様からの贈り物です。賜物として信仰をいただいている人は、その信仰を守っていただこうと、神様に向かい、神様との交わりを育もうと懸命になります。神様との交わりは、罪の赦し、聖餐、宣教活動を通して実現します。ですから、サクラメントを受け、御言葉を宣べ伝えることは、キリスト者としての生き方の一つなのです。

 

 

ただ御言葉を広めるだけでなく

それだけではありません。「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また、遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださる者なら誰にでも、与えられているものなのです」(使徒2:39)。この御言葉に基づいて、二月第一日曜日の礼拝が行われます。

 

要するに、救いの約束を伝えること、特に次世代に伝えることが、全信徒に召されている、ということです。子どもたちにはイエス・キリストの愛、教え、そして私たちの教会を良く知ってもらうことが必要です。そのために、教わり、納得し、励ましを受けます。

 

 

強力且つ奇跡的

「主の聖所で神を賛美せよ。/主の力の溢れる大空で神を賛美せよ。力強い御業のゆえに神を賛美せよ。/そのすぐれた偉大さにふさわしく神を賛美せよ。」これは第二日曜礼拝の聖句です。大方の人は、神様に物事をいとも簡単に要求します。ところが賛美となると、なんだかしっかりと言葉にしない傾向があります。

 

しかしちょっと考えたら、神様を賛美する理由は山ほどあります。例えば全能なる創造主として、物質的世界と霊的世界をお造りになりました。また救いを維持・完成させてくださるお方としても賛美できます。

 

 

信仰、愛、希望

特に信仰、愛、希望の三つを伴って人生を歩んでいるキリスト者にとっては、賛美から感謝までそう長い時間はかかりません。このことについてテサロニケの信徒への手紙一1章2~3節には次のように書いてあります。「私たちは、祈りの度に、あなたがたを思い起こし、あなたがた一同について、いつも神に感謝しています。あなたがたが信仰の働きを示し、愛のために労苦し、また、私たちの主イエス・キリストに希望を置いて忍耐していることを、絶えず父なる神の前に思い起こしているのです。」

 

そこで第三日曜日では、キリストとその贖いの御業とを信じること、キリストを愛すること、隣人を愛すること、キリストの再臨を待ち望むことの四つについて考えます。これらは私たちの日常生活に一定程度影響を与えるものです。

 

 

様々な場所で執り成し

人を愛することは執り成しにつながります。執り成しはこの世だけでなく、あの世にも有効であるというのが、新使徒教会の信仰です。二月第四日曜日は、一週間後の故人のための礼拝に向けて会衆を準備します。

 

基調聖句は歴代誌下30章18後半~20節となります。「民の多くの者、エフライム、マナセ、イッサカル、ゼブルンの多くの者が身を清めていなかったにもかかわらず、彼らは規定に反して過越のいけにえを食べたので、ヒゼキヤは彼らのために祈って言った。『恵み深い主よ、彼らをお赦しください。彼らは聖所の清めの規定に従いませんでしたが、心を定めて神を、先祖の神、主を求めたのです。』主はヒゼキヤの願いを聞き入れ、民を癒やされた。」

 

原著: Andreas Rother

https://nac.today/en/158033/1255731

nac.today: New Apostolic Church International

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