2024年3月11日 0:00:00 JST

「祈りとは、魂の呼吸である」と南米担当のエンリケ・エドゥアルド・ミニオ教区使徒は言います。今年の標語について考えながら、自由に呼吸できるようにするためには、何をする必要があるのかを教えています。

 

 

私たちが目標に向かう中で、とても大切な道具は、神様に祈ることです。祈りは「魂の呼吸」です(教理要綱13.1→)。祈りは役に立つのです! しかし、私たちの心に邪魔が入ると、どうなるでしょうか。

それよりまず「邪魔」とはどのようなものがあるでしょうか。

賛美する時に…

アダムとエバが勝手な判断をする前に、神様と話していたら、罪に堕ちることはなかったでしょう。自分たちが疑問に感じていることを正直に言いませんでしたが、それは二人が神様を信頼していなかったからです。

この話から邪魔の一つが浮き出てきます。「神様を疑う」という邪魔、「神様への信頼の欠如」という邪魔です。この邪魔によって、神様の御心でないことを企てるようになります。神様を崇めるのに、御前に他の神々の存在があってはなりません。神様の威厳、全知全能、遍在に重きを置きましょう。

感謝する時に…

私たちは祈りの中で、すべての物事において本心から、感謝を献げるべきです。この世的な物事は、それらを達成しようと努力する中で、神様との関係が危うくなって、邪魔になることがあります。こうしたこの世の物事を実現するのに、神様の御心と異なる決定をしなければならないのであれば、そのような物事は、放棄すべきです。しばしば、欲望、行き過ぎた野心、他人との対抗心、妬み、そねみが邪魔になって、神様が私たちに与えてくださったものに感謝できなくなることがよくあります。

願い事をする時に…

主が救いのご計画において私たちになさろうとしていることは、こちらの願いや考えと必ずしも一致するわけではありません。時には、永遠の交わりの目標に到達するのに有益でない生活の変化を、私たちは神様に求めることがあります。しかし、もし願い事が自分の救いに焦点を当てたものならば、神様のご計画が私たちの願いや考えと一致しているのが分かるでしょう。たとえば、たとえ話(ルカ 18:1–8)で語られるしつこい未亡人のように、ぶれることなく、忍耐しましょう。さらに、夜中に訪ねて来る友人のたとえ話(ルカ 11:5–10)が教えているように、諦めずに祈り続けましょう。イエス様は、熱心な祈りが役に立つことを強調しておられます。また、ファリサイ派と徴税人のたとえ話(ルカ 18:10–14)が教えているように、謙遜な心で祈りましょう。

執り成す時に…

私たちには神様と隣人に仕える召命が与えられています。祈る時は、自己中心的な考えが隣人への愛を抑えつけるようなことがあってなりません。恨みを抱いたり人を赦そうとしない姿勢は、祈りを役に立てなくさせてしまいます。偏見なく、愛情深く、献身的で、ぶれずひたすらに、周囲の人を執り成しましょう。周囲の人にとって必要なものを満たせるよう祈る時は、心を落ち着かせて、魂の救いを求めて執り成しましょう。私たちの隣人のために祈ることが無駄であるなどと、絶対に考えてはいけません。

まとめとして、私たちが祈る時に克服しなければならない邪魔を、いくつか列挙します。

  • 賛美を献げる際の、疑いと不信
  • 感謝を献げる際の、欲望、行き過ぎた野心、他人との対抗心、妬み、そねみ
  • 願い事をする際の、ぶれ、短気、生ぬるさ、傲慢さ
  • 執り成す際の、自己中心、恨み、偏見、あきらめ、和解しない姿勢

心備えをしましょう。神様にお祈りする前に、私たちの心にある邪魔をとり除くために、いろいろと考えなければならないのです。

なぜなら、祈りは役に立つものだからです!

原著: Enrique Eduardo Minio

https://nac.today/en/158033/1253339→

nac.today: New Apostolic Church International

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