2024年4月15日 19:48:00 JST

真横の窓が開いているにもかかわらず、わざわざガラスにぶつかるハエ…。神様が祈りにどう答えてくださるかを巡って、人はよくおかしな行動をします。スイスのドイベル教区使徒補佐は、神様の言われることに耳を傾けることが大切である、と説いています。

 

ハエみたいになってはいけない

家の中にハエが入ってきた。窓を歩き回り、飛び回り、ぶつかって跳ねながら外に出ようとする。隣の窓を開けて、ハエを外に出そうとする。ところが当の本人〔本ハエ?〕は分かっていないよう。そこでハエを手で払って開いている窓へと行かせようとする。しかし、しつこく、どこか別の場所に飛んで行き、戻って来て、また同じように窓に力いっぱい何度もぶつかる…。そしてようやく、真横の開いている窓に気付くのです。

 

同じように私たちも、自分の思いが叶うまで頑固に祈り続けることがあります。神様が私たちに仰せになることを、すればよいだけではないでしょうか。神様は昔から、物事の解決方法を用意しておられました。その解決方法を用いる案件が、今私たちの目の前にあるわけです。

 

「この方が言いつけるとおりにしてください」

イエス様が初めて奇跡を起こされたのは、カナの婚礼の時でした。ぶどう酒が切れてしまったので、マリアは、イエス様なら何とかしてくださるだろうと思って「ぶどう酒がなくなりました」と言ったところ、つれなくされてしまいました。しかしマリアはイエス様を信じていました。そのことは、召し使いたちに「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」(ヨハ2:5)と彼女が言ったことから明らかです。

 

するとイエス様は「水がめに水をいっぱい入れなさい」と召使いたちに仰せになりました。その通りにすると、奇跡が起きたのです。水がとても良いぶどう酒になったのです。

このことが私に意味することは次の通りです。

  • 自分自身のことも他の人たちのことも、すべて神様にお願いできます。
  • イエス様がマリアに取られた対応と同じく、神様に命令指図することはできません。
  • 神様の全知全能性と、神様の助けを信じます。礼拝中に、神様から教わることは、たとえそれが自分自身の要望や問題と関係がなくても、それを実行します。

 

自分の信仰を人々に話す

私がブルガリアに行く直前、スイスでの礼拝で話したことです。私は神様にこうお願いしました。「愛する神様、あなたを求め、教会の真ん中で御子に拝謁したいと思っている人々との出会いがありますように。」

 

ブルガリアへ出発する時は、時間が押していました。緊急の用事を済ませなければなりませんでした。そこで、神様の導きによって、ブルガリアでの最初の礼拝に備え、十分な時間を持たせてくださるよう、祈りを通してお願いしました。礼拝前には普通、自らを聖別し、内省のための時間を若干取りたいと思います。ホテルに到着し、急いで黒服に着替えました。ところがズボンを履く時に片足を入れ損ねて、ズボンを引き裂いてしまいました。そこで礼拝までの残り時間で新しいズボンを買わなければいけませんでした。私は銀行の男性に声をかけて、衣料品店の場所を尋ねたところ、その人が「連れて行ってあげよう」と言ってくれました。これが私たちの信仰について話すきっかけになりました。そして、黒服の新調と同時に、信仰の話もできたわけです。

 

外に出られなくなったハエのように、私たちも自分の思いや願いを窓によくぶつけます。本当は、神様から言われたことだけをすればよいのです。

原著: Thomas Deubel

https://nac.today/en/158033/1253389

New Apostolic Church International

 

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