2024年4月30日 0:00:00 JST

モーセ、ヒゼキヤ、パウロ-祈りにおいてこうした優れた模範がいることを、聖書は教えています。東アフリカ・ケニアのオペンバ・エクヤ教区使徒が、2024年標語「祈りは役に立つ」を考え、彼ら模範から学ぶべきことを解説します。

 

 

出エジプト記33章11~14節を読むと、祈りへの信頼が強くなるはずです。主はモーセと直接顔を合わせて、友人と話すように話された、と聖書に書いてあります。モーセは主に言いました。「『この民を導き出しなさい』とお命じになりますが、私と一緒に行く人が誰なのかを教えてくださいませんでした。しかしあなたは『私はあなたの名前を知っており、私の前に恵みがある』と言われました。そこで祈ります。御前に恵みがあるなら、道を示してください。そうすれば私はあなたを知り、御前にある恵みを見出すことができます。」すると神様はこう言われました。「あなたがどこへ行っても私はあなたと一緒におり、あなたに安らぎを得させる。」これがモーセと神様の会話でした。旧約聖書をさらに読み進めると、神様は人々の行くすべての所におられ、モーセに約束された通り、人々をカナンの地に導かれたことが書かれています。

 

祈りとは、神様との対話です。神様を賛美し、自分の罪を告白し、神様に感謝し、必要なものをくださるようお願いすることです。祈る時は、神様が近くにおられ、その祈りを聞いてくださり、答えてくださるということを、心に留めるべきです。祈ることで、神様と会話ができます。つながることができます。ヤコブの手紙1章6~8節には、神様に何かお願いする場合、信じて疑わないようにしなければならないと書いてあります。祈りにおいて信仰を活かすことで、対話の水準が高くなります。なぜなら、見えない神様が目に見えるようになり、見える世に関わってくださるよう神様にお願いできるからです。ヘブライ人への手紙11章1~3節には次のように書いてあります。「信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。…信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって造られ、従って、見えるものは目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」

 

聖書の記述によれば、パウロによる二度目の伝道旅行に際して、信徒たちは、パウロとシラスを神様の恵みに委ねました。つまり、二人のために祈ったということです(使徒15:40)。ところが、聖書に書かれているように、二人が宣教を行おうとした時に、聖霊によってアジア州での御言葉宣教を禁じられました。ビティニア州に行こうとしましたが、これも聖霊から許可されませんでした。そこで二人はトロアスに行きました。このトロアスで、パウロは夜、幻(まぼろし)を見て、マケドニアへ行くよう指示されました。このマケドニアからヨーロッパに福音が伝えられたのです。

 

このことからも、祈りの効果が分かりますが、祈りを通して神様の御心によらない結果を無理強いすることはできません。神様が私たちに辛抱を甘受(かんじゅ)するようお求めになる時は、神様の御心が私たちにとって最善であることを教えています。このことは、ヒゼキヤの祈りと、列王記下20章1~3節で展開されている事の次第から学ぶことができます。

 

祈りはストレスを取り除き、感謝することを教え、人生を安定させ、神様への希望と信頼を強めます。祈りは魂の呼吸です。一日の中で、できる限り何度も祈ることが必要です。

原著: Katrin Löwen

https://nac.today/en/158033/1273230

nac.today: New Apostolic Church International

 

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