いやになって信仰心が薄れても、神様から三下り半を突き付けられるようなことはありません。神様むしろ、私たちの力を新たに強くし、やさしく、しかも一歩一歩、導いてくださいます。ジャン=ルーク・シュナイダー主使徒が、その過程を解説しています。
「すると、主の使いがもう一度エリヤに触れ、『起きて食べなさい。この道のりは耐え難いほど長いのだから』と言った」(王上19: 7)。この聖句に基づいて、主使徒は、2026年2月15日にスイスのビエンヌ〔ビール〕で行われた主日礼拝を行いました。〔以下、主使徒による説教の概要〕
絶望にさいなまれ
本日の聖句は、よく知られているエリヤの物語から引用したものです。神様は、カルメル山において、天から火を下して祭壇を焼き尽くされました。人々はそれを目の当たりにし、「まさにこの方こそ全能の神だ」と言いました。神様はエリヤに、バアルの預言者たちをすべて殺すための力をお与えになりました。しかし王妃イゼベルがエリヤを殺そうと脅したため、彼は荒野へ逃れました。意気消沈し、絶望し、疲れ果てたエリヤは死を願いました。旧約における考え方では、死とは神様との最終的な断絶を意味していました。すなわちエリヤは、「もう神と関わりたくない」と言っていたわけです。
神様は二度にわたり、御使いをエリヤのもとに遣わし、彼を強め、旅を続けるよう励まされました。エリヤは食べて飲んだ後、旅を再開し、四十日四十夜歩き続けて、ホレブ山に着いて、そこで神様と出会ったのです。私たちも皆、エリヤのような時を経験します。力尽き、失望し、落胆する時があります。
霊的に疲れる原因
霊的に疲れるのには、次のような様々な原因があります。
- 「生活がうまくいかなかった。」結婚生活も、家庭生活も、仕事も、何一つうまくいかなかったのではないか、と感じます。
- 「○○さんにはがっかり。」家族、会衆、隣人に騙されたり嘘をつかれた、と感じます。
- 「神様にがっかり。」祈りに答えていただけなかった、期待通りでなかった、と感じます。
- 「自分自身にがっかり。」信仰において成長したい、目標に到達したいと思っても、なお繰り返し至らなさを感じます。
- 「会衆の規模がだんだん小さくなっていく。」自分たちだけがとどまろうとしているかのように思え、務めを果たしていけるのかどうか、不安になります。
旅するための力をいただく
霊的に疲れている時は、神様との関係を手放してしまうという落とし穴に陥らないよう、注意しなければなりません。むしろ賢明になり、改めて神様に立ち返り、「主よ、もう自分の力では進むことができません。あとはあなたの御手にお委ねします」と申し上げましょう。エリヤが言っていたことの本質は、こういうことなのです。
しかし、いつも神様が助けてくださるとは限りません。一時的にすごい奇跡があっても、状況の解決にはならない、ということを、神様はご存知なのです。そこで、難局にあるのは状況や他人ではなく、自らの内面だ、ということを分からせてくださいます。問題は私たちの内面です。私たちの信仰が弱くなってしまっているのです。私たちが飲んで食べなければならないのです。霊的に申し上げれば、自分の信仰を強めるということです。
信仰を強めるのは、
・神様の言葉です。礼拝で、聖霊を通して、私たちのことを愛している、と説いてくださいます。イエス様はこの世においでになり、死なれたわけですが、それはとりもなおさず「私たち」のためです。「私たち」をわざわざ選んで、水と聖霊によって悪から救い出してくださったのです。「私たち」を神様の子としてくださったのです。
- 神様が未来を説き、本当に大切なのは永遠に生きることだということを思い起こさせてくださるということです。
- 神様がこれまで私たちのためにしてくださったこと――日常生活においてであっても――を、すべて思い出すことです。これまでにどれほどたくさんの祈りに答えていただいたでしょうか。祝福を数えてみましょう。
- 聖餐です。聖別されたウエハース〔聖餅〕を通して、イエス様はご自身の体と血を私たちにくださいます。ご自身が置献げになった犠牲を、一人一人が思い起こすのです。
- 確信することです。私たちは一人ではありません。世界中にたくさんの兄弟姉妹がいます。陰府にたくさんの信仰に忠実な魂がいるのです。
小さな一歩が大きな影響に
強めていただいた私たちに対して、立ち上がって旅を続けることを、神様は期待しておられます。
- 神様の救いは環境に左右されるようなものではありません。私たちが救いに与れるかどうかは、私たちの決断にかかっています。
- 神様の御旨を行い、戒めを守り、従順であることによって、確かな道を歩むことができます。
- 立ち上がっていつも主に近づいて行きましょう。つまり、ますますキリストに似たものになろうということです。
- 違いをもたらすことはできます。世間を変えることはできませんが、去年の標語に「善を行う」とあったように、些細なことであっても、無意味に思えるようなことでも、見ていてください。神様は善いものを祝福してくださいますそしてこれが、まだ見えず、理解もできない永遠の結果をもたらすのです。
- 人生で難しいことがあっても、信仰が強いと、嬉しく楽しくなります。キリストの勝利、キリストの愛、受け継ぐキリストの栄光、再臨が近いという見込みがあれば、喜ぶことができます。
神様について、自分の信仰を強めることが、いわば応急処置です。御言葉、サクラメント〔聖礼典〕、交わり、そして神様がしてくださったあらゆる善を思い出すことで、信仰を強めるのです。
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