救いには名があり、道には目標があり、力は神様から来ます。五月の礼拝は、信仰生活のまさに中心へと導いてくれます。
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救いには名がある
「イエス」――その名がすべてを語っています。もともとのヘブライ語の形は文字どおり「神は助けてくださる」あるいは「神は救ってくださる」という意味です。このこと、さらに、使徒ペトロとヨハネはサンヘドリン〔最高法院〕の前で「この人による以外に救いはありません」と証ししています(使徒4:12)。
この排他的主張は、キリストご自身に由来しています。「私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」(ヨハ14:6)。これは、救いが何から成り立っているかが示されています。つまり、救いは完全な解放、霊的な刷新、神様との永遠の交わりで成り立っているのです。
これが日常生活にどういう意味を持つかということを、五月第一主日礼拝で考察します。
前を見据えて、前進する
これは、地図を頼りに決められたポイントを探しながらゴールを目指して進む、オリエンテーリング競技のようなものです。後ろを振り返る人には転ぶ危険があります。そして、道ばたにとどまっていれば、決してゴールにたどり着くことはありません。使徒パウロはこの信仰という競技についてこう述べています。「…後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ」(フィリ3:13-14)。
信仰において成長したいならば、イエス様に適う人生を毎日継続して送らなければいけません。というのも、キリストに似たものになること目指して、生涯にわたって歩み続けるからです。これが五月第二主日礼拝の内容です。
足跡に従って
「父のもとから出て、父のもとに行く。」このようにイエス・キリストは、ご自身の歩みをヨハネによる福音書16章28節で語っておられます。そして、2026年5月14日の昇天日記念礼拝は、そこに見られるいくつかの対応関係を強調しています。
「私たちは神の子であり、キリストに仕え、キリストを証しするために世に遣わされています」という方向付けをしたうえで「私たちはキリストに倣(なら)い、断固として悪を退けます。」そして最後に「キリストの助けによって、私たちは歩み続け、目標に到達します。」
続ける強さ
人生を送り、競争し、その歩む道を見つけることは、力と気力を消耗します。しかしイエス様はと「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」約束されました(使徒1:8)。この「力」は何のためにあるのでしょうか。これが、五月第三主日礼拝の焦点です。
聖霊の力は、恐怖と失望のあまり部屋に閉じこもっていた弟子たちを、確信と希望を広める熱意に満ちた宣教者へと変えるのです。
共に働くことで、はじめて目標へ
聖霊はまた、教会を築き上げる力でもあります。「一つの霊によって一つの体となるために洗礼(バプテスマ)を受け」(一コリ12:13)。このことを、2026年5月24日の聖霊降臨祭〔ペンテコステ〕記念礼拝を通して思い起こします。
ここでは、キリストの教会を一つの体にたとえています。賜物も務めもそれぞれ異なります。しかし、教会に属す人は、誰も欠かすことができません。そして、すべての人が共に働くことで、はじめて目標に到達できるのです。
お一人の神が、三位一体で近くに
五旬祭〔ペンテコステ〕において、最終的に神様は三位一体のご自身を、この世に現されました。すなわち、御父なる神様を信じることによって創造主を悟り、御子なる神様を信じることによって神様の擬人化が中心となり、聖霊なる神様を信じることによって、人類が根本から新しくされ、そして新しい被造物が古いものにとって代わることが確約されるのです。
第五主日礼拝では、この三位一体の祝福を洞察します。
Andreas Rother(翻訳:日本新使徒教会)