17. 6月 2026

信仰を増したがる人は、からし種の持つ力をまだ十分に分かっていないかもしれません。あらがうのをやめた瞬間、あり得ないことが起こり始めることもあるのです。

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ヘルゲ・ムチュラー主使徒補佐〔当時〕は二月、初めて西ドイツ教区を訪問しました。2026年2月1日にリンドラーの市庁舎で行われた礼拝は、教区所属の会衆全体に中継されました。基調聖句はルカによる福音書17章5~6節が引用されました。「さて、使徒たちが、『私どもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。『もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「根を抜き、海に植われ」と言えば、言うことを聞くであろう。』」信仰は、人が成し遂げることではないのです。〔以下、主使徒補佐による説教の概要〕

 

誰も植え替えることのできない木

 

イエス様が言及した桑の木について、見た目はあまり美しくない木ですが、とても深くに根を張る木です。この木は、移植しても持ちこたえることができます。つまりイエス様は、当時の人々が「動かせないもの」と考えていたものを、あえて例として選ばれました。それはまるで、主がエンパイア・ステート・ビルの隣に立ち、「自分で基礎を抜いてハドソン川へ移動しなさい」と命じるようなものです。このたとえは挑発的です。無茶振りです。超高層ビルに向かって命令しようなどという勇気がある人などいるでしょうか。

 

圧倒された時の願い

 

文脈を理解することが重要です。前の節でイエス様は弟子たちに、誘惑が起こること、自分たちの仲間内にも対立が生じること、傷つけられること、そして悔い改める兄弟を何度でも赦さなければならないということを説かれました。七度とは、何度でも赦さなければならないということです。弟子たちはその要求に圧倒され、「私たちの信仰を増してください」と願いました。何度も何度も赦すことは、本当に難しいことです。実際、圧倒されるような課題です。

強い信仰への渇望

 

弟子たちは、病を退け、人生の重荷をもっと容易に担うことができるように、信仰を増して、強くしてくれるよう求めました。こんにちにおける多くの人々と同じように、「信仰は多ければ多いほど良い」と考えたのです。ますます強く、どんどん強く…。」この考え方においては、弱いものについてほとんど考慮されていません。まさにそこに、からし種のたとえが語られた理由があるのです。

 

偉大な神への少しの信仰

 

からし種は当時知られていた中で最も小さな種だと言われていました。1グラムにするのに約700粒が必要です。重要なのはこの小ささです。皆さんのごく小さな信仰―今にも折れそうな、弱々しい信仰―であっても、主イエス・キリストの目には価値があるのです。問題は多さではなく、その背景にあるものです。大切なのは、偉大な神様を、少しでもいいですから、信じることです。自分自身の力ではなく、弱さの中にあるキリストの力強さこそ重要です。だからこそ、偉大な神様を少しでも信じることによって、木を根こそぎ動かすことができるのです。からし種とは、へりくだり、単純で、飾り気のない信仰のことです。からし種のような信仰は無理に頑張りません。自分の力に頼るのではなく、主に全面的に身を委ねるのです。

 

からし種ほどの信仰を実践する

 

からし種ほどの信仰というこの概念を、凝り固まった類型が深く根を張る六つの側面に当てはめて説明しました。

  • 苦しみ。重い病を抱えた人が「ただ信じて祈れば問題は消える」と考えると、必ずからし種のたとえを誤解します。疑うことがあっても構いません。
  • 神様についての古い想像。何十年もの間、神様について「罰する方」「厳しい要求をなさる方」と思ってきたことで、その姿が深く根付いてしまっています。しかし「もしかすると、神様は愛なのかもしれない」という、別の姿を根付かせてみましょう。
  • 罪。しつこく付きまとう罪や癖になっている罪を、自分の力だけで根絶しようとすると、限界があるため、うまくいきません。自分だけでは決してうまくいかないということに気づいていないのです。
  • 赦し。長年不和の状態にあった二人の教会員が、礼拝後に和解しました。その傷はもはや癒えないだろうと思われていました。私はその話を聞きましたが、まず不可能としか思えませんでした。
  • 社会における不安。近年、多くの人の心に、明らかに恐怖が根を下ろしています。すべては神様の御手の中にあります。
  • 私たちの使命。教会堂に空席が目立ち、キリスト教が衰退しているように見える状況に、落胆を覚えるかもしれません。ただイエス・キリストの御手に身を委ね、私たちの使命を果たしましょう。

 

未来を恐れず、喜ぶ

 

教会の歴史を通して、キリストの再臨は時として人々に恐怖を抱かせてきました。その恐怖を、喜びに取って代えなければいけません。この点についても、勝利するのは、ただからし種のような信仰です。あれこれ思い煩うのではなく、委ねる信仰です。無理に頑張ろうとしなくてよいのです。そんなに緊張しなくてもよいのです。ただ神様の御手の中に身を置くだけで、皆さんは木を根こそぎ動かすことができるのです。
Oliver Rütten(翻訳:日本新使徒教会)

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