3. 8月 2026

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イエス・キリストには、教えを宣べ伝える独自の方法がありました。実に簡単で、実に短く、日常の世間話を使って、最も奥深い真理を伝えることができたのです。しかし、このたとえ話の背後にある秘義や論旨を理解するのに欠かせない材料を、ほとんどの人たちは持っていませんでした。


キリストは再三再四、たとえ話で、説教の論旨を説いておられます。たとえの中身は、人々の日常生活から引用されたものであり、聞き手の経験に則しています。なくなった硬貨を最後の一枚まで探さない人はいるでしょうか。大切な物がなくなったら、必死になって探し回るのではないでしょうか。放蕩息子のたとえ話もそうです。父親と相続分を精算し、商業大都市に引っ越して独立した生活を営むことすることは、若者の風習でした。ほとんどの人たちは、これらたとえ話の裏写しのようなことを経験してきているわけです。


なぜたとえ話なのか


しかし、日常の世間話より、これらのたとえ話のほうが、はるかに濃い内容です。たとえ話はすべて、基本的な考え方を伝えるためのものです。イエス様がたとえ話をお使いになったのは、神様の御国を人々に宣教するためでした。イエス様が「神の国は近づいた」(マコ1:15)と言われたことの意味を、聞き手は理解する必要がありました。しかし、聞いたすべての人が、これを深く掘り下げて本当の趣旨を探求できたわけではありませんでしたし、その気がない人もいました。


弟子たちはイエス様に、どうしてこのような暗号めいたたとえ話を使って福音を宣べ伝えるのかを尋ねました。イエス様はこれに対して、預言者イザヤの言葉を引用しました(マタ13:10-17)。イザヤは、話を聞こうとしない人の耳は鈍く目は暗い、と言いました(イザ6:9-10)。人々の無気力や頑固さを、こう表現したのです。


神からの伝言を拒む


モーセとアロンも似た経験をしました。出エジプト記の冒頭部で、繰り返しファラオの前に立って、イスラエルの民の解放を獲得しようと試みます。その都度ファラオは心を堅くし、強情になって、モーセの伝言に心を開きませんでした。


心の堅さや強情は、ただの不信仰ではありません。神様からの伝言や御旨を意図的に拒否しているのです。自分に心地の良い生き方、つまり自己満足やわがままに固執しているのです。変化する必要性を真っ向から拒否しているのです。


信仰が肝要


だからこそ、イエス様は聞き手の生活に関連したことを話されたのかもしれません。煽り、戸惑わせ、驚かし、「なるほど」と気付かせようとしておられるのです。たとえ話は、神様の御国を抽象的な真理として理解するためではなく、聞き手の生活に関連させるためのものです。聞き手は、これらたとえ話にどう対処すべきか、判断を迫られます。この緊張状態を、コリント信徒への手紙一にある十字架の言葉で、次のように適切に表現しています。「世は神の知恵を示されていながら、知恵によって神を認めるには至らなかったので、神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになりました」(一コリ1:21)。神様の真実は、信じる人でないと把握することができないのです。


イエスご自身が解釈なさる


これに関連して、あるたとえ話を、イエス様ご自身が解釈しておられます。それは「種を蒔く人のたとえ」です。


このたとえ話によれば、種が様々な種類の土に落ちます。種とは神様の御言葉であり、落ちる土の状態によって、その成長の仕方が異なります。


道端に落ちた種


これは、神様の言葉を聞いても理解できない人を表しています。


石地に落ちた種


これは、神様の言葉を受け入れることはできても、いわゆる深く根を張れない種のような人を表しています。生活する中で状況が難しくなると、御言葉を拒否して、種は実を結べなくなるのです。


茨の中に落ちた種


神様の言葉を受け入れることができて、いわば内面に根を張ることもできていながら、世の中の出来事や富の追求という危険が、神様の言葉を台無しにする茨(いばら)のようになり得るのです。


良い地に落ちた種


神様の言葉を受け入れて、それに倣う生き方をする人は、様々に成長することができます。


小さな種でも影響は大


神様は大きなことがおできになるということを説くたとえ話によって、弟子たちを繰り返し励ましておられます。一方で、種を蒔く人自身は、種の落ちる土に対して限られた影響力しかありません。からし種とパン種のたとえ話は、人の貢献度が小さくても、神様の働きによって奇跡的に非常に大きなことを成し遂げられるということを、明らかにしています。


種が良い地に落ちないため、福音宣教にもどかしさを感じることがあります。そのような人々すべてに対して、イエス様はマルコによる福音書で、ひとりでに成長する種の力に触れておられます。「種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」(4:27)。


Simon Heiniger(翻訳:日本新使徒教会)

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